ある日から(私の著書に事実を詳細に書いたが)、朝日新聞が「リサイクル反対」から「賛成」に変わり、キャンペーンを打ち始めます。それをきっかけにNHKや他のテレビ局が追従、半年ほどで日本社会はそれまでとまったく逆の方向に走り始めました。
女性の進出と脅し商法は「ゴミ問題」から顕著になったのですが、リサイクルで特定の焼却炉メーカーが巨利を得たこと、ペットボトルなどの消費量が飛躍的に拡大したこと、それまで地道にやっていた「ちり紙交換」の業者が一網打尽にやられて廃業し、お役所に取り入った特定業者だけが紙のリサイクルでぼろもうけをするという結果になりました。
また、紙のリサイクルでは日本の森林の利用率が落ち、山は荒れ放題になり、他国の森林を傷めるという結果を招いたのです。でも、朝日新聞を中心としたマスコミの「良い子報道」によってリサイクルがもたらした酷い状態はまったく報道されず、国民は、分別の苦労、ゴミ収集の頻度の低下、地方税の増税(もしくは減税できない体質)、役所と特定業者のとの癒着、日本のゴミを開発途上国に出して国際的な顰蹙を買う・・・などが「冷たい日本」を作っていきました。
隣の家からでたゴミを隣組の監視員がゴミを開いてみて、私生活を覗く密かな楽しみを生み、「ゴミは少ない方が良い」という奇妙な道徳観念を生んで、主婦は家の前に置くゴミの量をできるだけ少なく見せるようにするまでになりました。
人間が使ったものは必ず何らかの形でゴミになるのですが、さまざまな利権と報道が事実を報道せず、監視社会が生まれたという結果になりました。
リサイクルの利権が一渡り終わると、少し手の込んだリサイクルに進む人たちと、温暖化利権に向かった人たちがいました。一般のプラスチックなどと異なるさらに悪質なリサイクルがペットボトルのフタとワクチンが組み合わさったもので、少しの常識があればこのリサイクルが異常であることがわかるものです。
ともかく、「リサイクル」という美名で「悪徳商法」と「庶民の苦労」が日本社会の中にはびこり、不合理なことを隠しながらやるのですから、「暗い社会」、「冷たい社会」をもたらしました。
役所は市民に「分別しろ」と命令し、分別したものが「再利用」されているかを明らかにしないとか、分別した物を一括して燃やしても「サーマル・リサイクル」と読んだり(ヨーロッパですら禁止されている呼び名)、もともとリサイクルに出すと少しのお金やトイレットペーパーがもらえたくず鉄、アルミ缶、紙などもお役所と特定の業者が独占して、逆に税金を払うと言う事態になりました。
よく中国の悪口などを言う人がいますが、日本のリサイクルほど一般国民に負担を強い、税金を取り、特定業者がもうけるという社会悪が「道徳」の名の下に行われているというのは驚きです。
でも、「冷たい社会」とはこういうことの積み重ねで起こり、次第次第に「人をバッシングする風土」、「精神的に弱い人がうつになる危険性の増加」、「自殺の増加(ほぼ世界一のレベル)」を生んできたような気がします。
本当にリサイクルができ、ものを大切にできるなら、データはオープンになるでしょうし、第一、「繰り返し使えるようになった」のに、「捨てていた時代」より多くの税金がかかると言うこと自体が奇妙なのです。
このリサイクルを皮切りに、女性の不安感と脅し商法は日本社会に定着し、ダイオキシン、環境ホルモン、オゾン層破壊、日光浴の危険性、高血圧、コレステロール、植物油、そして温暖化と際限なく繰り出されるようになりました。
これらの問題はもともと存在しないか、あるいは逆に私たちの生活や健康を脅かすことになり、周囲からの多くの脅迫で、精神的に弱い人はうつなどになり、人生を失っていきました。
知識人、指導者、マスコミなど日本をリードする人たちの心はどういうものなのでしょうか? 第一に自分はリサイクルもダイオキシンも関係がないということです。所得は高く、持ち家か高級マンションで、分別は奥さんがしますし、形だけ「文化人」、「環境を大切にする人」ぐらいの印象を与えておけば、特に社会の流れに背く必要はありませんし、「儲け」というのがある程度の「裏の操作」を伴うこともよく知っています。
第二に、主として東京に住んでいるある意味での特権階級の人は、自分たちの生活を悪くしてまで「日本のため」とか「未来のため」に何かを考えるということは必要がありません。特権階級にいると言うこと自体が「現在の体制を維持した方が良い」ということですので、多くの改革は自分たちの生活を危うくするだけで得にならないからです。
朝日新聞、NHK、そして東京に住む知識人が組んで、徐々に日本に不道徳な考え、非日本的な道徳、村八分的な空気を次々と作り出したことが、「締め付けられるような社会」を作り出したと思われます。
少し前までは、自由にゴミを捨て、電気を使い、ドライブを楽しんでいたのに、そしてそれは今でもアメリカやフランスなどでは普通のことなのに、日本は分別し、ゴミの収集日は減り、節電をし、ガソリンは使いにくくなる・・・まるで「お犬様の時代」に逆戻りしたような息苦しさを感じるようになったのです。
あののんびりした生活、ゆっくりした時間、他人を認める日本の生活をもう一度取り戻したいものです。
(平成27年9月27日)