女性の社会進出や家庭での女性の発言権が増大するにつれて、「脅し商法」が1990年代から急激に激しくなりました。女性は男性と比較すると慎重派で危険に対して敏感で、しかも将来は別にして1990年代はようやく女性が社会に進出を始めた時ですので、「そんなことはないよ」というようなチェック機構が働きにくいというところもありました。
まず第一は「リサイクルしないとゴミ箱が満杯になる」というものでした。日本は物質の生産量が約20億トン、そのうち、どんなに頑張ってもリサイクルできる量は5億トン、さらに産業ではなく、家庭を経由するゴミは5000万トンぐらいしか無いのですから、いくら頑張っても40分の1、現実にはその100分の1しかリサイクルできていないので、家庭の主婦が一所懸命やってもゴミに行かずにもう一度使っているのは実に4000分の1にしかなりません。
でも主婦にしてみれば、生産工場を見たこともなく、エネルギーが消失していくのも目に見えず、目の前の台所のゴミは一日で袋一杯になったりするので、「これは大変だ」ということで分別を始めました。
もちろん、意味の無いことですから、夫は「そんな馬鹿らしいことをしてもダメだ」と言って夫婦喧嘩が絶えない家庭も多かったのです。もちろん、リサイクルしなければ廃棄物貯蔵庫が満杯になるなどはウソですし、リサイクルのおかげでペットボトルの販売量は急増、自治体は焼却炉を作る必要がなくなり仕事が楽になり、単に税金を上げれば良くなった(500億円が3000億円に増えた)だけのことでした。
知識と思考力がなければだまされるのは仕方ないことですが、臨調をやった土光さんの奥さんは昔型の女性でしたが、社会を見る目があり、「家庭では節約、社会は発展」と言われ、家庭の考え方を社会にそのまま適応できないことを戒めています。だから、多くの家庭婦人がリサイクルや分別をして、環境を汚し、税金を上げたのはやはり女性の社会の経験が少なかったということになると思います。
今では考えられないことですが、リサイクルは当初「資源を多く使う」という正しい考えが支配的でした。当時は「ペットボトルがこれ以上増えたら廃棄物貯蔵所の寿命が短くなる」という正しい認識が一般的でした。「廃物貯蔵所が一杯になって場所がない」というのではなく、「廃棄物貯蔵所の寿命が短くなって、新しい廃棄物貯蔵所を作るお金がかかる」という妥当なものでした。
ところが、社会の裏に2つの動きがあったのです。一つが「ペットボトルをもっと売りたいという産業の思惑」、もう一つが「棚段式の焼却炉は効率が悪いが、既得権益があるので守りたい」という動きです。この二つの動きは産業としてはそれほど倫理に悖るというものではありませんでした。
会社は社会的なことをそれほど強く考慮する必要はありません。たとえば、エアコンのメーカーが「エアコンで生活するのは問題だ。自然の風で生活するべきだ」としてエアコンの生産を止めてしまうのはやはり産業としては行き過ぎです。自由な社会では、「自然のなかで生きる」ということを目指した産業もあれば、エアコンの性能を良くして快適に過ごしてもらうと言う産業もあって、その中で国民が選択していけるからです。
ペットボトルはどこでも飲料を飲めますし、それまで女性が「お茶くみ」というのを担当していたのが無くなるというメリットもありました。だから、「廃棄物貯蔵所の寿命が短くなるからお金がいる」というのと、「ペットボトルを自由に使って快適な生活をする」というのではどちらが良いか分からないからです。
ところが、ここに朝日新聞が登場します。朝日新聞は自らの販売部数を増やすために、女性をターゲットにして「脅し商法」に踏み切ったのです。
(平成27年9月26日)