離婚や男女の別れの多くの原因は「男女の会話の違い」によるものです。もし人間に「言葉」というのがなければ、多くの男女の別れも、離婚もなかったでしょう。

オオカミは一夫一妻制ですが、ひとたび、結婚すると夫婦が相協力して10キロ四方の縄張りを守り、子供を育て、夫婦仲のよい生活を送ります。それは、オオカミの夫婦に目的(家庭を幸福に、子供を育てる)というのがあり、言葉が無いからと考えられる。

人間の場合は、10万年ほど前から男性が狩にでて、女性は子供とともに家にいる生活をしていた。男性には基本的には言語は不要で、お互いの信頼感が最も大切だった。大型の動物を狩るときにはかけ声や雄叫びは必要だったが、仲間が「自分の命を捨てても仲間を守る」という信頼感だけが頼りだったからだ。

女性は集団で子育てをしたが、子供に言語を教え、日常的に細かいことを話しながら無事に子供を成長させた。その結果、言語能力がたけ、細かいことに気がつくようになった。

このような男女の頭脳の差が「先天的」か「後天的」かは問題にはならない。10万年にわたる生物の生活はその種の特性を決めてしまうからだ。現在では職業(当時の狩)に危険を伴わなくなったので、女性が職業に進出する希望を持つようになったが、それはどんなに短くても1万年、戦争を考えると70年しか経っていない。

女性が安全になった職業に携わるのはとても良いことだが、そのためにはこれまでの人類の歴史に大きく逆らうとギクシャクしてうまくいかない。私たちは不幸になるために努力してはいけないのであって、幸福に人生を送るために努力しなければならない。

「男性は言葉を発しない」、まずそう思うことだ。次に、「男性は聞いたことは覚えているが、反論などはせず、行動で示す」という特徴も女性は理解しておいた方が良い。これは「それが好ましいかどうか」ではなく、男性に備わった性質だから仕方が無い。

女性が何か言っても男性は答えない。聞こえていないわけでもなく、不誠実でもない。言葉がでないのだ。女性にはこれが分からないが、現実はそうだから仕方が無い。せいぜい、小さく頷く(うなづく)だけだ。

女性の会話は回答を求めない。だから言いっ放しで言ったことが実現するかどうかはあまり問題ではない。会話自体に意味があるので、言えば80%は満足する。でも男性は「答えを求めるために発言する」ので、女性が言ったことを実現しようとする。普通はできないか、少しできるぐらいだ。

「あなたお腹が出ているわね」というと男性は少しでもお腹をへこませようと、食事を制限したり、運動したりする。でも現実にはお腹はへこまない。だから何回も女性に言われるが、男性は答えることができない。結果を伴っていないからからだ。

「あなた、少し肥えた?」と女性が女性に尋ねると、聞かれた女性は事細かに努力しているが減らないと言う。そして次に会ったときにも聞かれもしないのに、事細かにいかに努力しているか、なかなか痩せられないかを膨大な言語で表現する。

でも女性二人はなにも変化がないのに「会話した」ということで満足しているが、男性は女性に言われないかとビクビク(イヤな感じ)している。

つまり、男女は言語の目的が違うので、会話はいらない。会話が必要なのは女性同士だけである。男女はオオカミの夫婦のように「目的」が一致していればよい。本来、幸福な夫婦が会話をするために不幸になることが著しく多い。それは10万年の歴史に反して、「自分が正しいと思うことだけが正しい」と多くの女性が信じているからと私は思う。

男女が争うより、また男性は男性の、女性は女性の正しさを主張するのではなく、お互いの性質を知って穏やかで温かく、幸福な人生を目指した方が良いように思う。

(平成2792日)