私はあまり遺言というのを自分の判断をする上での「事実」に含ませることは少なかった。どの人も人生には強い思いがある。それが遺言という形で残されるのだが、それは「事実」そのものではなく、事実に対する本人の思いのようなものだからというのがその理由だった。

しかし、このブログの「最期の一撃」の執筆動機になった山下奉文将軍の遺言に接して「暴走した日本陸軍」とはまったくことなる印象を受けた。今ではさらに勉強したので「日本陸軍」暴走したのではなく、「日本陸軍の中に暴走した将校がいた」と理解しているが、遺言を読んだときには正直ビックリしたものだ。

ナポレオンと東条英機も遺言を見てみた。もっともここに比較するように書いた二人の遺言は東条英機が二回目(自決の前の遺言が一回目)なので若干、本当の比較になっていないが、東条英機の遺言はやはり注目するべきもののように思う。

また日本人として大東亜戦争の指揮を執った人がどのような考えを持っていたかについてもやはり勉強しておくべきことのようにも思う。

・・・戦争をした責任を国内的にとるのは当然で、是非、死刑にしてもらいたい。しかし国際的にはこの裁判はリンチだ・・・と言う趣旨であり、立派な武士の最後と私は思う。良く敗北したドイツ、イタリアと並んで比較されるが、東条英機元首相の覚悟はずば抜けて立派である。拳銃自殺し損なったことで批判する人がいるが、私には敗軍の将を責めるにもほどがあるように感じられる。

しかし、大東亜戦争は輝かしい戦争であったので戦争責任等というものはないが、仮に国内的に責任があるならむしろ国民全体である。戦争は軍部が始めたものでもなく、選挙があったのだから政府は国民が選んでいる。そして朝日新聞をはじめとしたマスコミはすべて「戦争すべし」で一致していた。

「東条さん、あなただけの責任ではありません。私たち日本国民は全員がアメリカの奴隷になったり、白人に支配されたり、白人側についた中国に従属するなら戦いを望んだのです。力尽きたのは誰の責任でもなく、日本国民全部の力が及ばなかっただけです。ありがとうございました。」

と国民は追悼するべきだろう。

(平成27816日)