大きな歴史の流れの「転換点」に立ち会った人たちは、歴史からその名誉を与えられるとともに、大きな犠牲を強いられる。
【誰もが平等】
ナポレオンは軍事の天才と言われるが、まあ優れた指揮官程度であった。でも、ナポレオンが軍事の天才と言われるのは、むしろ「歴史の子:ナポレオン」であったことはすでにトルストイが指摘している。それはなぜであろうか?
1789年のフランス革命で人類は「身分制」から「平等な社会」への一歩を踏み出した。もっと正しい歴史から言えば、マホメットが「身分制」から「神の前の平等」という概念を打ち出し、事実、マホメットからしばらくの間(正統カリフ時代)はアラビアを中心に民主主義が現実に実施されていた。
しかし、現代の日本の歴史学はあまりにヨーロッパ中心になっているので、正統カリフ時代が「民主主義の始まり」になるには、100年ぐらいの「日本人の錯覚を採る時間」がいるだろうから、ここではそれを指摘するにとどめて、フランス革命で人類は初めて「身分制のない平等な社会」への一歩を踏み出したとして良いだろう。
ところで、フランス革命が成功し、民主主義が定着しそうになると、ヨーロッパの王族はそろってそれを阻止しようとした。王権の存続を目的にしたフランス包囲網に対して、戦ったのがナポレオンとフランス国民軍だった。ナポレオンのめざましい勝利は、歴史がナポレオンを舞台に出し、彼に力を与え、人類としての崇高な目的を達成させようとしたのだった。それがトルストイの言う「歴史の子」である。
膨大な犠牲と大規模な戦争をした。革命の時には数多くの人がギロチンで処刑され、ナポレオン戦争ではロシアに遠征した60万人のフランス軍のうち、帰還できたのは5000人ほどと言われる。
歴史は犠牲を強いる。「自由、平等、博愛」という思想が行き渡り、それが現実のものとなってそれまで下層階級で呻吟していた人たちが、自由と幸福な人生を過ごすことができるようになるために、歴史は犠牲を強いる。そしてナポレオン戦争はその後、「人類に平等をもたらした正義の戦い」であったと賞賛される。
【どの国も平等】
20世紀のはじめ、アジア、アフリカ諸国は白人の支配の下で呻吟していた。その中で完全な独立を果たしたのは日本ただ一カ国であり、それに対して、ちょうど革命後のフランスのように、白人は日本封じ、日本つぶしにかかった。
日本が力をつけると必ずや「四方の海、みな同胞(はらから)」(明治天皇御歌の一部)と言って、諸国民の解放を目指すだろう。それこそがそれまでの白人の既得権を破壊することになる。ちょうど、ヨーロッパの王国が連合を組んでフランスつぶしに邁進したのと同じである。
歴史は日本に「人類の解放」を命じた。それもフランスに「不平等の解放」をさせたのと同じである。国民の熱狂、優れた軍人の登場、正義の戦争、敗北、そして反動が続く。
現在は「敗北」のあとの「反動」の時代であり、アメリカはイラクまで行き、中国は南シナ海で島を建設している。しかし、すでに日本が行った「大東亜会議」(1943年)で「どの国も平等」という原理原則は打ち立てられ、第一回アジアアフリカ会議(1955年、バンドン)で植民地は解放された。
歴史は多大の血を求め、大きな転換をさせ、反動が終わって徐々に目的が達成されるのを静観する。それは人間の心がもつ慣性力を打ち破るためのニュートンが明らかにした力だからだ。
その先頭を切ったのが山下奉文大将だった。彼のシンガポール陥落戦は歴史が命じたものであり、日本の310万人の犠牲は人類の光を求めたからであった。朝鮮と台湾は日本とともにこの歴史的栄光に良くすることができたが、中国は既得権益側につき、今でも白人の利権と同じ思想で南シナ海にでたり、チベット、ウィグルを圧迫したりしている。歴史に取り残されるだろう。
(平成27年7月1日)