昭和16年9月6日の御前会議で、昭和天皇は明治天皇の御製を読み上げられ、永野軍令部総長が発言を求めた。
昭和天皇
「よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ」
永野軍令部総長
「政府側の陳述によりますれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国が必至であるということでありますが、戦うも、また亡国であるかも知れません。
すなわち、戦わざれば亡国必至、戦うも、また亡国を免れないとするならば、戦わずして亡国に委ねることは身も心も民族にとって永遠の亡国になりますが、戦って護国の精神に徹するならば、たとえ戦いに勝たずとも、祖国護持の精神が残って、我々の子孫はかならず再起三起するでありましょう。」
この御前会議の決定を受けて、9月7日、開戦の決意をしたことをアメリカ駐在の野村大使に暗号電報で訓令した。しかし、すでにこの暗号電報はアメリカ側によって解読され、アメリカは日本が開戦準備を始めたことを知っていた。それにもかかわらず、アメリカは12月まで無理難題を要求し続け、ハワイ奇襲の情報も隠匿していた。
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昭和16年に始まった日米交渉で、日本はアメリカが「友好国」であると思っていたが、アメリカは「日本を挑発して戦争に持ち込む」計画であった。アメリカと日本の戦力の元になる工業力は比較にならず、日本を1.0としたときのアメリカの力は、
鉄鋼で24倍、アルミが8倍、石油は日本にないから比較もできず、石炭12倍、電力5倍、自動車生産力50倍、船舶2倍,航空機8倍,一般工業力5倍,重工業力20倍であった。
だから永野軍令部総長が言ったように「戦っても亡国」であった。しかし歴史的事実を見ると、日本は力で負けたけれど魂は屈しなかったので、戦後の復興で産業力がアメリカを凌駕するまでになった。これは「魂を失わなかった」からだった。
そして、アジアアフリカの国々は日本が戦争をしたおかげで独立した。1955年に行われた第一回アジアアフリカ会議(バンドン会議)では、日本は次のように賞賛された。
『よく来てくれた』『日本のおかげだ』『日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。』(出席者談)
戦争はアメリカと中国が仕掛けたものであり、日本が好んで戦争をしたわけではない。日本にとっては屈辱より誇りを優先し、むしろアメリカと中国に屈して二流国になった方がより惨めな国になったことは間違いない。
また、日本が多大な犠牲を出して白人と戦ったので、アジアアフリカ諸国は戦後、一気に独立を果たした。
「戦争責任」などは作り物であり、どこにも謝る必要は無い。日本のおじいさんは正しく判断し、正しく強盗団と戦い、私たちにもっとも大切な「誇り」を残してくれた。それは戦後の日本の発展となり、アジア、アフリカ諸国の独立につながった。
これからは「戦争責任」という言葉を一切、口にせず、誇りを持って生きていきたいと思う。
(平成27年6月13日)