白人が有色人種を襲い始めた16世紀以後、迫り来る白人に対してどのような態度をとるか、5つの種類があった。

1) 断固として白人と戦い、屈従するより死を選ぶ(アメリカン・インディアン)、

2) 断固として白人と戦うが、力及ばないときにはジッと我慢する、(ガンジー)

3) 従順で最初から白人に従う(アメリカ奴隷)

4) 白人の側について有色人種を痛める(中国)

5) 考える前に全滅する(アステカ、インカ)

アメリカ人が広すぎる国土を運営するのに「奴隷」が必要だったが、アメリカン・インディアンはそれを潔しとせず、断固として戦って実質的に絶滅した。アメリカ人は人格的に高く、誇りを持つインディアンを奴隷にすることを止めて、アフリカから黒人を拉致して奴隷にした。

白人は黄色人種は奴隷としてではなく、せいぜい使用人だった。油断のならない使用人だったが、中国人がいれば彼らが有色人種を管理してくれた。

南アメリカではアメリカン・インディアン以外の有色人種は瞬く間に絶滅したので、かろうじて死を免れた人は「白人との混血」の道を選んだ。その人たちの末裔が今の南アメリカの多くの国に住んでいる。

1)の典型例がアメリカン・インディアンであり、2)の典型がガンジーだったが、その他の国、たとえばトルコ、イラン、インドシナ、インドネシア、フィリピンなどの国は「抵抗して敗れ、いつかはと思って我慢する」という状態だった。

日本人は1)だったが、力が強く、ロシア(日露戦争)、ドイツ(第一次世界大戦)、フランス(仏印進駐)、イギリス(シンガポール攻略)、アメリカ(フィリピン奪取)、インドネシア(オランダ追放)と白人の国をことごとく力で制したから、白人支配のもとで呻吟もしなかったし、我慢する必要も無かった。

アメリカン・インディアンはアメリカ人となったイギリス人の騎兵隊と戦って全滅したが、なぜインディアンは騎兵隊と戦争したのだろうか? それは日本が白人と戦争したのとほぼ同じ理由である。

昔からインディアンが住んでいたところがある。そこに白人が来て「一杯やろう。友達になろう」と言うから一緒にお酒を飲んだ。帰り際に一枚の紙を出して「友達になった印にお互いにサインしよう」というからサインしたら、そこには「土地を明け渡すこと」というのが「英語」で書いてあった。

だまされて追い出されたインディアンが移動先で生活していると、次々と奥地に移動命令が来る。そんな屈辱的なことはできない。先祖にももうしわけが立たないと立ち上がって全滅した。

「アメリカン・インディアン」という呼び名が蔑視だから「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶと白人が言い、インディアンは拒否している。何を今更、と言っている。日本の反日日本人は「ネイティブ・アメリカン」を使っていて私のついインディアンが認めていると錯覚していた時期がある。

白人は植民地を手放さないが、日本は手放せと言う。アメリカはフィリピンで小隊が独立派のゲリラに襲われた報復だと言って島全体の住民(40万人から160万人)を虐殺したが、白人は虐殺して良いが、日本人は殺してはいけないという。

日本以外の有色人種で白人側に寝返った中国以外はすべて植民地だった戦争前、「おまえらもインディアンのように全滅してしまえ」というアメリカとABCD包囲網に断固として立ち上がる以外に、私たちの祖父になにか選択の方法があったのだろうか?? 

また私たちは祖父が屈辱の道を選んで欲しかったのだろうか? 

(平成2763日)