1996年から始まったヨーロッパ、ユーゴスラビア地域のコソボ紛争は長い民族の対立と共産国家による弾圧が原因しているが、NATO軍による空爆という国際的な紛争になった。そしてその関係者は戦争が終わると、国際司法裁判所を中心としてさまざまな「戦争に対する罪」などが裁判に掛けられた。

2003年にアメリカは国連の承認なしに「大量破壊兵器を持っている」というウソ(開戦当時にアメリカはイラクに大量破壊兵器がないことを知っていたのでウソといえる)を構えてイラクに侵攻した。侵攻前に「フセイン大統領は悪い人だ」という印象をマスコミを通じて行い、日本人も洗脳された。

イラク戦争が不当な戦争であることは今や国際的にも明らかだが、不当にイラクを占領し、フセイン大統領を処刑した罪でアメリカ大統領は訴追されていない。

なぜだろうか? 世界は「無政府状態」だからで、「力が強いものは何をやっても良い」という社会なのである。日本国内で言えば、力の弱い女子高校生が乱暴されたえ殺されても、力と地位のある人が犯罪をしたら裁判にも掛けられないという状態なのである。

あるアメリカの学者は、「世界が無政府状態であるということは誰もが知っているが、口に出さないようにしている」と言っていた。その通りなのだが、この先が問題で、アメリカ人は口に出さなくても事実は事実として認めているが、日本人は形式主義なので、口に出さなければ事実ではないと思ってしまう。

そこで「友愛」とか「温暖化防止」というような「日本だけが被害を受ける」ということも「地球のために」という理由で実施するところがある。しかし、現実と違う理想は私たちばかりではなく、私たちの子供により劣化した日本を渡すことになる。

先回に整理したように、「高邁な理想を前面に出して、目的は自国が得をすること。他国を悪く言うこと、侵略すること」という世界の中で、日本は「高邁な理想を前面に出して、自国が損害を受けないように防御する」ということが最善であると私は考えている。

アメリカ、イギリス、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、中国、韓国はみんな同じだが、日本人が中国、韓国だけを悪く言うのは近いこともあるけれど、白人コンプレックスがその根にあると思う。アジア人であることを強調することは無いが、人種差別の考え方から日本人が離れることは正義を論じる上で大切である。

かつて原水爆禁止運動が盛んだったとき、社会党や共産党は「ソ連の原爆はきれいだけれど、アメリカの原爆は汚い」と言って区別をしていた。それは正義ではない。

(平成2749日)