このブログでは、「普通の歴史」、「反日日本人」、そしてまだ途中ですが「最後の一撃」など歴史のものを多く出しています。その目的は「正しい歴史認識」です。
「正しい歴史認識」と言いますが、正しい認識をするためには、過去に起こったこと、つまり「歴史的事実」がはっきりしていなければなりません。ところが、地球上では「過去」は過ぎ去り、二度と再び戻ってこないので、歴史的事実はわずかに残された遺跡と、膨大な書籍で調べるしかありません。
遺跡は変わらないものですから、石垣の後とかある人の遺骨などがありますが、それは事実のほんの一部を示すだけですから、大半は書籍によらなければなりません。ところが、書籍は「事実」が書かれているものではなく、書いた人が「事実と思ったこと」、または「事実にしたかったこと」が書かれています。
よく言われることですが、中国では王朝が変わると過去の歴史は書き直され、新しい王朝の都合の良いようになります。このことが「悪いこと」なのか、歴史というものは現代のためにあると言うことを徹底した方が良いのか、人によって考えが違います。
第二次世界大戦で日本が負けてアメリカに占領された後、進駐軍は日本の書籍を
しらみつぶしに調べて、アメリカにとって都合の悪いことが書いてある本をすべて焼き払いました。
焚書というと私たちは遠い中国の昔に秦の始皇帝を思い出すけれど、ほとんど全世界で戦争の後や大変動の時には書物が焼かれています。
その中で日本人はきまじめなところがあるので、古事記、日本書紀を作ったとき神武天皇が没した年齢が実際とは違うと言われますが、この程度の改変は世界的に見ると大したことはありません。ただ日本人は歴史は自分の都合で適当に書き換えることに対して倫理的な抵抗感があり、それは日本が誇る「世界的にも珍しい優れた文化」なのです。
「お金を借りても返さなくても良い、道を聞かれて知らなくてもデタラメを教えて良い、相手が知らなければ値段をふっかけても良い、何が正しいかは決まっていないが強い方が正しいことは確か」というような諸外国の文化は、奴隷というものを産んだり、犯罪が絶えないのですが、日本は世界でもほぼ唯一、これらの考えとは正反対の倫理観を持っています。
それが、日本人が歴史を考える上で、大きな障害になっています。中国や、長く中国の属国だった朝鮮(韓国など)では歴史は「書き直して良い」ということですから、たとえば日本が韓国を併合した時の「歴史的事実」は韓国では「韓国に都合の良いように書き直されている」ということですから、「日本の記録と違う」というのは当然のことです。
中国でも同じで、日本は現在の共産中国政府とはほとんど戦っていないし、中国という国は戦後にできたのですから、日本に残っている歴史的事実によると「日本が現在の中国を占領したことはなく、中華民国という当時の支那と戦っただけということになります。
もともと中華民国の前のチャイナは「清」という王朝だったのですが、「清」は満州地域(チャイナではないとチャイナが言っていた)の女真族がシナを占領してできた国ですから、「日本と清の戦争(日清戦争)」というのは、正確に言うと「日本と満州の戦争」と言うことになります。
でも、このような整理は日本人には必要ですが、中国の言っていることを理解するにはあまり役立ちません。つまり、中国人が知っている歴史は、清の時には清が作った歴史、中華民国の時の歴史は彼らが、また共産チャイナ(現在の中国と日本語で読んでいる地域(中国と呼んでいるのは世界で日本だけで、他の国はシナ(チャイナ)と呼んでいる))はもともと歴史的には全く違う国である、満州、内モンゴル、新疆ウィグル、チベットなどを「自国領土」としていて、それは歴史的にもずっとチャイナ領であるとしています。
つまり、チャイナと日本の歴史はまったく違うのですから、本来は歴史認識が合うはずもなく、チャイナも自分たちで歴史を新しく作ったのですから、日本の歴史と違うと思っています。
これは「正価でものを買うか、値切るか」の文化の違いですから、どちらが良いとか悪いというものではありません。
(平成27年4月4日)