ムハンマドがお生まれになってウマイヤ朝からアッバース朝になるところまでが、「イスラム教を理解するために知っておいた方が良い歴史」と思います。その後も複雑な歴史が続き、それを事細かに聞く大学受験勉強もあるのですが、わたしはあまり重要ではなく、20世紀の最初まで大きな国だったオスマントルコのことを知っておく必要があるという程度でしょう。

ところで、ムハンマド、正統カリフ、ウマイヤ朝、アッバース朝と続くイスラムの歴史は、実に「歴史の必然」を感じるものでもあります。私が歴史が好きなのは、

偶然に進む歴史と、「これはそうなるな」という歴史を分けて見ることが楽しいからです。

イスラムの歴史を見ると、一部の階級だけが救われるように変質していたムハンマドの頃の宗教、中東が東西交易の中心になっていたことによってムハンマドの教えが生まれて普及したのは歴史的必然と思います。

そしてイスラムの教えは「神の前に平等」ということですが、民主主義など考えられず、自由平等を歌ったフランス革命の1100年も前ですからそれはすごいものです。多くの人はヨーロッパ史観に惑わされて、平等はフランス革命、女性解放もヨーロッパと思っていますが、平等はイスラムが7世紀に、女性解放は日本が3世紀には成立していたのです。

だから、ムハンマドの後、正統カリフ時代(平等に選挙でトップを決める)という時代が来ることも分かりますし、当時は周りがすべて世襲の時代ですから、やがてムハンマドという飛び抜けて偉い人の記憶が薄くなると、世襲の王朝(ウマイヤ朝)ができるのも無理からぬことです。

でも、世襲ばかりではなく、ウマイヤ王朝はアラブ民族とその他の民族の区別をしたので、これも神の前に平等というイスラムの教えに反するので、アッバース革命が起こり、アッバース朝になるのですが、理想的にはコーランの教え、現実の政治は現実の社会になるので、アッバース朝ができると少しずつまた権力、世襲などの王朝に変質していくのもまた歴史の必然でもあります。

歴史の必然は思わぬ結果をもたらすのです。アッバース朝の乱れはかえってイスラムの考えを広く中央アジア、インドなどにも広めることになり、それが中央アジアにいたトルコ系民族に影響を与えます。

もともと、軍人としての素質に恵まれていたトルコ民族が力を伸ばしてきます。民族というのはあるときに目を覚ますものなので、なぜトルコ民族がこの時期に力をつけたのかというのは「それまで長く眠っていたから」ぐらいしか理由はないと思いますが、具体的には、寒いアルタイ山脈(今のモンゴルから若干、西の地域まで)の付近に住んでいたトルコ系民族が、寒いので少しずつ南に降りてきて、そこでイスラムの教えに接して精神が解放されたと思います。

現在のトルコは、長い歴史で徐々に「西南」に移動し、セルジュークトルコ朝を経て、ものすごい帝国を作ったオスマントルコになるのです。

ここで、このブログでは、トルコ民族がアーリア人ではなく、モンゴロイドであることに注意が必要です。トルコ民族が中国の西部から西に移動し、アーリア人(中東のペルシャなどの民族)と混血になったので、結果的に現在のトルコ人(アジア的雰囲気を持っているが、ややインド的でもある)になったのです。

もともと中東はセム族が住んでいて、モンゴロイドなどの影響もあり、10世紀頃には中東の人たちはヨーロッパ人のように生粋のアーリア人と比較すると、どう猛性、自己中心性などが弱くなっていました。

おそらくオスマントルコが衰えず、20世紀初頭に中東に覇を唱えていたら、今の中東の混乱はないと思います。しかし、オスマントルコが滅び、ヨーロッパが中東を支配したので、絶え間ない戦闘が続くことになりました。

(平成27322日)