今からだいぶ前になりますが、わたしは選挙で迷ってとても人格が高いと思っていた人の個人演説会に行きました。時間もたっぷりあり、その人の考え方をじっくり聞くことができると思ったのです。わたしは思想的には右寄りですが、「凝り固まった右」ではなく、「ジックリ考えると日本社会は左よりだな」と思い、その結果、自分が相対的に右という感じを持っていたのです。

でも、人というのはそれほど「狂信的」ということもありません。自分に固い意志があっても自信がない部分もあり、キチンとした意見を聞くとグラッと行くところもあります。その時、わたしはそういう気持ちだったのです。

選挙期間中でもなかったので演説会場はそれほど熱狂的な感じはなく、静かだったのですが、演説が始まってビックリしたのは彼の敵を攻撃するだけではなく、中間的な人、たとえばその時の私ですが、その人たちも一派ひとからげで激しく攻撃してくるのです。

その時、選挙の情勢は、右寄りの人が4割程度、左よりが3割、そして態度を決めかねている人がその他という感じでした。つまりその候補者はやや弱いという感じだったのです。

でも選挙までは時間があり、私のように態度を決めかねている人が多いように思いました。事実、私とともに行った人も私と同じでした。ところが、その中間層の私たちが罵倒されるのです。それにはビックリしました。「この人、あの人?」と思うぐらいでした。

実はこのような経験は私が原子力をやっている時にもよく経験したのです。わたしは原子力の研究をしていましたが、本当に安全なのか、本当にやるべきなのか、ズッと悩み続けていました。石油がなくなるというし、日本は発展して欲しいし、という反面、危険なのではないか、戦争に結びつくのではないかとも思っていました。

そして時々、原発反対運動の会場にいくと、わたしはある程度、知られていましたから入場できないか、発言などさせてもらえないのです。

演説を聴きに行った候補者は、「わたしは当選したくない。ただ自分の気晴らしに演説しているだけだ。だから同調者を増やしたくない。惨敗しても「正しいことが通らない」と言うために立候補するのだ」という感じがしました。私の率直な感想を友人に「この人、通る気ないね」と言ったのです。

それと原発反対運動が似ています。誰もが原発を不安に思い、でも原発がないと困るのではないかと迷ってもいます。だから原発反対の人は「なぜ、反対しているのか」をしっかり話してもらえば、随分同調者が増えると思うのですが、迷っている人を罵倒するのです。

原発事故のあと、私の言動は原発反対の方にそれほど背を向けたものではありませんでしたが、少しでも原発反対の人と考えが違うと、それが原発以外のことでも激しくバッシングされます。そうすると、多くの人が同調せずにむしろ反対側になってしまいます。

政府、東大、NHKなどの巨大組織などを批判するのは良いことですが、個人で、しかもある程度、理解している人をさらに相手側に押しやるように批判する・・・それは考えてみれば、日本が自民党と社会党で左右対立している時でも、社会党が個人を批判し相手方に押しやってきたことと共通するように見えます。

日本の未来を明るくし、子供たちにより良い社会を引き継ぐためには、バッシングを減らし、お互いに自分の意見に同調してくれるように心を砕いてもらいたいと思います。なにかを買ってもらおうとすれば相手の機嫌をとります。本当に自分が思うことを実現したければ頭は低くなるように思うのですが。

(平成27118日)