最期の一撃のシリーズで、その山場はシンガポール陥落である。この事実がその後の世界史に大きな足跡を残した事はこのシリーズで明らかにしていくが、「戦闘」としてはマレー作戦はコタバル上陸でも、東洋艦隊撃沈でも目を見張るものがあるけれど、シンガポール陥落は戦闘としては見るべきものはない。
マレー半島の南端はシンガポールではなく、ジョホールというところで、州の名前はジョホールだが、州都はジョホールバルというのが普通である。シンガポールはマレー半島の先端にある島で、それがイギリスの要塞になっていた。シンガポールの南には大きなスマトラ島があり、その南を通ってフィリピン東方に迂回する航路は不能率で、シンガポールとスマトラ島の間にあるマラッカ海峡を通ることになるので、極めて重要な要衝ということになる。
シンガポールにインドからオーストラリアに至る南太平洋のイギリス植民地の利権を確保する要塞と艦隊を置くのは当然で、それが「ヨーロッパ人がアジア人を支配する象徴」でもあった。
山下大将(当時、中将)が指揮する日本軍がジョホールに到達してシンガポールでじっとしているイギリス連合軍を攻めようとしているとき、簡単に言うと、日本軍は精鋭部隊であり、実戦経験があり、世界的にも優れた軍隊だったが、イギリス軍はすでに100年を超える植民地支配、恵まれた生活、官僚がはびこり現場を軽く見る雰囲気が出来上がっていた。だから、本当は「崩れたイギリス軍と、精鋭の日本軍」だったので、勝負は明らかだった。
戦いは、トップの集団が現場的であるか、兵士が愛国的であるかでほぼ決まってしまう。それに若干の運不運が加わり戦いの帰趨は決まる。シンガポール攻防戦も見かけは日本軍の圧倒的勝利だったが、その実、日本軍は弾丸不足に苦しみ、イギリス軍が降伏する寸前には日本軍の弾丸はほぼ底をついていたという状態だった。
このシンガポールの陥落では、山下大将はイギリス軍の司令官と降伏交渉を行ったとき、山下大将が「降伏するか、否か」(イエスかノーか)と迫ったことが有名だが、それは歴史の一場面に過ぎない。乃木将軍とステッセル将軍が会見した日露戦争の時と同じく、日本軍は武士としてイギリス将官を待遇していた。
これに対して、アメリカは後にフィリピン守備隊の司令官だった山下大将を戦犯として処刑するときに、死に際にも山下大将を辱める目的でシンガポールの陥落の時のイギリス司令官をわざわざ処刑場に呼んで山下大将の処刑に立ち会わせるという「復讐戦」をやった。
イギリスがプリンス・オブ・ウェールズの撃沈を恨んで、ロンドン・オリンピックに金メダルを予想された古橋、橋爪の両選手を拒否したように、アメリカもまた極めて卑劣な行為をしたのである。
アーリア人というのは日本人と比較して、きわめて深い恨み、妬み、恐れなどの感情が強く、それを表に出さずに行動を取れるという強い精神力を持っている。そのこともこのシリーズで全体として明らかにしたいと思っていることだ。
(平成27年1月12日)