愛し合い、晴れて夫婦になって家庭を築き、子供が生まれ、幸福な人生を送ることができる・・・そんな人が多い日本なのに、いつのまにか夫婦は相争い、結婚式のときに誓った言葉・・・永遠の愛を誓うというのはどこに行ったのかと思うほどだ。
なぜ夫婦は「争う」のだろうか? わたしは夫婦が争う理由が3つあると思う。ここではその一つを整理してみたいと思う。他にもあることは承知の上なので、それも理解していただきたい。
結婚して夫婦になり、子供ができる。それは動物としての人間の営みとしてまことにまともなことであり、喜ばしいことだ。結婚はある意味では次世代を作ることであるからでもある。
かつて、子供を生んで育てるのは女性の役割だった。男性は厨房にいらず、子育てもしなかった。男性は25歳までに1年半の兵役(兵隊の訓練)を終え、戦争が起こると召集令状によって徴兵されて戦場で死んだ。
かつて、子供が大きくなり大人になったらなる仕事はほとんどが「農業」だった。だから土地がなければ子供はせっかく18歳になったのに、そこで餓死するか、奴隷になるしかなかった。だから男は死をかけて戦場にいった。我が子の土地を確保するためだ。
今でもその本能は男性に残っている。台風や大雨になると川が増水して自分の田畑が危ないと思うと、爺さんは婆さんが引き止めるのも聞かずに田畑に行く。台風の力は爺さんのそれとは違うから、田畑を見に行った爺さんは増水した川に流されて一命を落とす。
死ぬことが良いはずはないが、爺さんは自らの信念に基づいて行動した。立派な最期でもある。婆さんが田畑を見に行って川に流されることはない。かならず爺さんである。
つまり、夫婦というのは「相協力して」子供のために人生を送った。女は子供を産み育てて18歳になるまで責任を持った。「子供は妻に任せた」夫は必死になって田畑を守り、ときに戦場で、ときに増水した川で命を落としても子供のために田畑を守った。
でも、今はどうだろうか? イクメンというのが流行っている。よくよく聞いてみると、「子供は18歳まで育てれば良い。あとは責任がない」と言い、「それまで夫婦の間で、子供の世話を押し付けあうのが勝負だ」という。
夫婦は争うものか? 夫婦は子供の世話をできるだけ押し付けたり、できるだけお金を相手に渡さずに自分が使うようにズルをするものなのか? それなら結婚式のあの誓はなにを言っているのだろうか?
夫婦は一心同体である。苦労も喜びも等しくし、一心不乱に子供の成長を目指し、それを喜ぶものである。お母さんは健康な子供を育て、お父さんは「お前の未来は俺がちゃんとしているから心配ないぞ」という。
かつて、父親は自分の仕事にプライドを持ち、子供のために田畑を確保した。「お前には未来があるぞ」と励ました。今の父親は自分のことだけ、夫婦の損得だけを考え、「お前の未来は暗いぞ。年金はないし、消費税は20%だ。地球は温暖化し、石油はなくなる。中国に占領され、原発の廃棄物は200万本になっているぞ」という。
おい、それはあなたのやる仕事じゃないの? 子供は勉強し、成長することができるが、社会を作ることはできない。社会は前の世代が作り、それを次世代が引き継ぎ、そしてまた、その次世代が新しい社会を作り、次次世代に引き継ぐのだ。
それを男性がやっても女性がやっても良い。かつて女性に「自分の子供を育てるのと、戦場で死ぬのとどっちが良いですか」と聞いたら、自分の子どもを育てる方がよいと言うので女性が育児だった。
男性が育児をすれば女性が将来の日本を作らなければならない。女性が育児を担当すれば、男性は子供のために夢のある日本社会を作らなければならない。どちらでも良いが、両親が子育てだけをすればよいというので、それを押し付け合い、争い、そして子供は社会にでて悲惨な生活を送る。
そんなことが始まったのは長い日本の歴史で、今の世代だ。
(平成26年11月20日)