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物理的な豊かさ(所得、持ち家、車、休暇日数など)が目標に達したあと、実は、「豊かな生活」に至るまでに、二つ不足していました。一つは哲学、二つ目は制度です。哲学はあとにして、まず制度の方から行きますが、バブルとともに崩壊したのが、「環境汚染の幻想」、「年金の崩壊」、「政治的対立の消失」、「使い道がわからないお金」だったのです。
まず、1990年になって日本人は「豊かになった」という目標を達すると、突如として奇妙な言動にでます。それが「エコ」でした。せっかく豊かな生活を目指してあれほど一所懸命になって働いてきたのに、それが実現すると途端に「使ってはいけない」ということになったのです。
石油は枯渇する、ゴミが溢れる、有害物質がでる・・・から始まって、そのうちには地球温暖化、生物多様性などというまったく新しいものもでてきました。
それだけならまだ良かったのですが、少子化問題、年金問題、高齢社会など社会システムの根幹に関わる課題も噴出し、それが不安定な金融、株価や土地の下落などによって不安の拡大へと繋がったのです。
この二つは相乗的に不安感を煽り、消費活動は極端に減りました。リサイクルしないとゴミが溢れる。ゴミを焼くとダイオキシンがでると退路を断ち、さらに資源が枯渇すると(間違い)を言います。つぎに年金が崩壊する、子供が少ないから見てくれる人がいない、老人人口はうなぎのぼりということになったのですから、財布の紐が締まるのは当然です。
実に奇妙な変化でした。豊かになろうとあれほど努力したのですから、せめて10年ぐらいは「豊かな生活」を楽しめばよかったのに、達成したとたん、こんどは別の理由でまた節約を始めたのです。
その結果、ある大会社が「この日のために」と用意していた兵庫県にある大規模従業員保養施設(温泉、旅館、テニスコート、散策・・・なんでもOK)はガラガラになり、東京の近くの箱根、軽井沢などの保養地は「豊かになったらお客さんがいなくなって倒産」するとろこが続出しました。
国が進めていた、大規模工業団地は破綻、大型レジャーランドに投資した人は散々な目に遭って倒産したのです。いったい、国民も政府も、あれだけ豊かになりたいと願ってたいのに、いったいどうしたのでしょうか?
どうも、高度成長期の日本人の目的は「豊かになること」であって、「豊かな生活をすること」ではなかったようです。だから、目的を達したら、また貧乏生活から始めることにしたように見えます。しかし、すでに所得は世界のトップレベルになっていましたから、「所得があっても使わない」ということになり、産業も設備投資ができなくなり、カネ余り、ゼロ金利、赤字国債発行と一直線にさらに何をしているのかわからないことになりました。
もちろん、その兆候はすでに高度成長の第二期(石油ショック以後)に現れていました。家電製品が行き渡ると、家庭の貯蓄が増え、産業は設備投資が少なくなったので借入金が減り、その結果、戦争もしないのに(国家に特別な出費目的がないのに)赤字国債が増加していったのです。
目標はなくなった、課題を解決する力も合意手段もない・・・そこで仕方なく、「ウソを現実として安易な解決方法をとり、みんなでその中で過ごす」ということになったのです。それがここでいう仮装社会なのですが、あまり抽象的なことをお話してもわかりにくいので、次回から一つ一つ、なにが仮装化したのか、その内容はどのようなものかを整理しながら進みたいと思います。
(平成26年10月7日)