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安倍政権が「道徳教育の教科書化」を進めていて、これがかつての軍国主義につながるのではないかと危惧されている。一方では若者のあまりにもひどい公衆道徳の欠如などがあって、多くの人のストレスになっている。

かつて静かな海岸だったところが、若者が大きな音で音楽をかける、ワインをラッパ飲みにする、裸のまま電車に乗る・・・日本人の多くは「あまり道徳を強調するのもなんだが、かといって放置するのも・・・」と複雑な心境だろう。

先回、このシリーズで「国家のための教育か、個人か」という整理をしたが、この問題はその典型的なもののひとつである。「国家のため」なら「日本はこのままでは愛国心のない国民が増えてどうにもならなくなる」と考え、「個人のため」なら「日本社会は道徳心の薄い人を受け入れないから、道徳心を養っておかないと社会で成功しない」ということになる。

つまり、「このままでは」ということは現代の社会が道徳的に乱れているので、それを直すためには教育からという考え方だし、「社会で成功しない」というのは、すでに日本社会が不道徳なことを許さないので、道徳心を持った子供を育てないと「本人が」ダメになるということで、方向性も現代の日本社会の道徳性に対する評価も正反対のところがある。

現代の日本は道徳的だろうか? 民主党は公約を大幅に破った。鳩山首相は月に1600万円ずつ母親からもらっていて税法に基づく申告をしていなかった。野田首相は増税しないと公約して増税した。それでも民主党は政党として残っている。

NHKは小保方さんを追い詰めて2週間のケガをさせ、女子トイレに追い込んだ。それでも謝罪せず番組も放送した。高校男子も女性を追い詰めてもよいのだろう。野々村議員は公金を不正に使って泣いた。政府は1000兆円の借金をして、それを国民の借金と言って逃れようとしている、年金を管理する局長が35000万円の退職金などを受け取り、年金は焦げ付いている・・・・・・

先生はどう教えるのだろうか? 人との約束は破ったほうが出世する。税金はごまかした方が良い。自分が得になれば他人をケガさせたり、トイレに閉じ込めても誤ればよい。ばれたら泣けばよい。人からお金を借りたら、自分が貸したと言えばよい・・・と教えるのだろうか? それがこれから始めようとする道徳教育だろうか?

小保方さんを追い詰めてケガをさせたNHKは報道部長が行って頭を下げてきただけで、番組は放映されるし、裁判にもならない。NHKは「国民の知る権利が大切なので、小保方さんのケガぐらい」と言っているが、それは「権力があれば何をしても良い」と言っているに過ぎない。そんな理屈は子供にも通らない。

昔から、泥棒というのはいるし、悪いことをする商売人もいた。だから、石川五右衛門は釜茹での刑になったし、士農工商といってお金を扱う商売人がさげすまれた。でも、今は、ズル、ウソ、言い訳、約束違反をする人が、首相、社長、NHK、東大教授などなので困る。そのまま素直に子供に教えるとすると、「ズル、ウソ、言い訳、約束違反をうまくやるほうが偉くなりますよ」ということになる。それが「道徳教育」なのだろうか?

現在、議論になっている道徳教育の中には「日本を知る」というのがある。日本の神代から古代の歴史、日本の風土などを知ることが日本人としての誇りを持つことができるのだという。でも朝日新聞の慰安婦報道、南京虐殺報道をはじめ、多くの歴史教科書、知識人が、日本が防衛戦争をしたのに侵略戦争をしたというようでは、まだ子供たちに日本の良さを教えるところまで至っていない。

このブログでは「常勝日本」、あるいは「日本だけ」、「普通の歴史」というシリーズを展開しているが、まだまだ冷静で自由な議論が不足している。

それに環境問題などになると、「ウソは普通。補助金のためなら何でもOK」が続いている。燃料電池自動車を「究極のエコカー」とよく言ったものだと思うが、太陽光発電をエコと言ったり、温暖化にしろ、リサイクルにしろ、あまりに誠意に悖り、学校で教えている理科と真っ向から違うが、ただただ補助金がもらえるからという理由でウソをつく社会なのだ。STAP事件も大々的な社会的イジメだった。

嘆いているのではない。私の学生が「僕は正しく生きようと思っていました。ホテルのアルバイトをしたときに、おそば(ふかひれラーメンのようなもの)にハエが入ったので捨てようと思ったら、「ハエを出すだけでよい」と怒鳴られた。それが続くと自分もそれに染まっていった」とレポートに書いてきた。

社会がまともになるためには道徳教育も良いが、それと並行して社会の不正を糾弾することによって、不正を許さない社会を作らないと効果は弱いだろう。しかし、NHK、東大がある限り、日本社会の道徳の衰退は防ぐ手段がない。その中で学校だけに「正義」を求めるのは無理がある。自分ができないから子供にやらせようとしても教える人もいない。

(平成2691日)