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(病気のことは医師に任せろと医師は言う。でも「インフォームドコンセント、国民のための医療の理解、TPPの判断」などは医療の分野を医師の独占物にしていて実現できるものではない。そこには医療と国民をつなぐ「医療関係者以外」の存在が必要である。

 

この記事もその一つとして書かれている。昔のように医師が患者に対して「おまえは知らないのだから、黙っていろ」と言う時代ではない。「患者様」と呼ぶ病院も私にはなじめないけれど・・・)

 

医師会は高血圧学会が血圧の上限を129としていたのに、人間ドック学会が147としたので「ダブルスタンダード」ができてしまったから調整が必要と言っている。 でもこのような画一的な基準が医療としても医学としても、健康を心配する国民の方としてもきわめて不適切であることは間違いない。

 

もともと血圧というのは、一律に決まるものではなく、本人の血管の太さ、必要な代謝量(血流量)などで最適値が決まっていて、「病的」と判定するためには、その本人の血圧調整能力に異常があるということだ。仮に血圧が高くても、本人の血圧調整能力が正常で、「高い方が良い」と体が判断しているとしたら、それを医師が下げるには倫理的にも問題を生じる。

 

また、日本は世界でももっとも長寿な国の一つなのに、血圧の上限を129とすると、国民の過半が「病気」になる。

 

世界一長寿であって、国民の過半が病気と言うことも考えられるが、それを決めるとするととうてい「高血圧学会」だけで決められるはずもない。人間はどう生きるかということから初めて哲学も科学も生物学も参加が必要になるだろう。

 

まして、血圧というのは一日のうちで20ぐらいも変化し、季節によっても7ぐらいは変わる。つまり、元々、129の人でも病院で測定したら、午前10時で季節は冬、医師が前にいれば160は行く。

 

もともと高血圧学会が製薬会社からリベートをもらって基準を低くしてきたという噂はかなり広く信じられている。「そんな証拠がどこにあるのか!」と言わずに、高血圧学会は「そんなことはない」ということを自ら証明しないと信頼性は得られないだろう。

 

医師会もこのような状態なのだから、「ダブルスタンダード」などと言わずに、「血圧を一律に決めることは、本当に国民のためになったか」ぐらいのコメントは必要である。(ショート論評ですが、血圧の基礎知識を再度、図を参考にして解説しておきます。)

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(平成26610日)

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