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今年(2014年2月)、関東を中心として20センチから40センチの積雪があった。多いところでは60センチを超え、高速道路や国道では多くの車が閉じ込められ、3日たってもまったく動くことができないという前代未聞の事態になっている。

 

このことに対して、新聞などで「気象庁はなぜ警報を出さなかったのか」などと書いているが、実は原因は別なところにある。

 

2005年、つまり今から9年前に、アメリカで「カトリーヌ」と名前がついた巨大ハリケーンが来て、アメリカ南部で約2000名の犠牲者を出した。この事件は人種差別や政治的思惑が絡んで、大きな関心を呼び、「地球温暖化のために過去にはない巨大なハリケーン」ということが言われ、NHKはじめ日本のマスコミは大きく「地球温暖化」を取り上げた。

 

しかし、私はまず事実を確認しようと20世紀のハリケーンを調べてみたら、まだ気温が上がっていない20世紀の前半に大きなハリケーンが集中していて、問題になった「カトリーヌ」は8番目にしか過ぎない。特に温暖化が進んでいると言われている1980年以後は大きなハリケーンは起こっていない。

 

また、アメリカの災害統計を調べてみると、20世紀後半のハリケーンの被害は、大きなハリケーンが多かった前半に比べて数倍になっている。つまり、事実は「気象は穏やかになっているが、都市を中心とした防災計画が不十分で死者を出している」ということになっている。

 

このことを知った私は、当時、「異常気象」、「温暖化」、「記録的」などの言葉は正確に使わないと、対策を間違うと言ってきた。つまり、大きな被害の原因が「都市計画や防災計画の遅れ」なのに、「温暖化」というと、みんながCO2を削減しようとする。

 

CO2を削減しても大雨や台風は弱くならないのだから、相変わらず多くの犠牲者を出すことになる。NHKが政府の方針を守るために「温暖化キャンペーン」をするから、NHKの受信料を払っている国民が死んだり、土砂崩れにあったり、はたまた雪に閉じ込められているのだからとんでもないことだ。

 

もちろん、人間の知恵には限りがあるから、本当に「温暖化でハリケーンが大きくなった」というならわかるけれど、ハリケーンの大きさと被害額や犠牲者数の統計は日本で調べることができるのだから、アメリカに記者を派遣しているNHKは容易に知ることができただろう。

 

同じことが2013年の伊豆大島の土砂崩れや巨大台風で多くの犠牲者を出したフィリピンにも言える。伊豆大島の大雨は1時間100ミリ程度で、この程度の大雨は日本列島では数年おきに発生する。大雨が降る場所が特定できないのは、日本列島の南に太平洋があり、そこからの湿った大気は日本列島のどこにぶつかってくるかわからないからだ。

 

ところが、気象庁は「アメダスの区分けをもとに「これまでに経験しないような」大雨」という表現を使い、NHKは政府の言うとおりに放送するので、これまで日本列島を襲ったことがないような報道をする。実際には、7月の終わりを中心にして毎年のように九州、中国地方に大雨が降り、時々、それは四国、東海地方、関東沿岸部に移動する。

 

そんなことは当たり前で、大雨の雲がアメダスの位置を意識して動くわけではないからである。このことによって「災害は温暖化が原因だ」とされて、「数年に一度起こる、大雨、台風でも死ぬことがある」という環境はまったく改善されずに来た。

 

フィリピンの台風も同じだ。マスコミは「900hPaを下回る気圧の巨大台風など見たこともない」という表現をしたが、気圧が900hPaを下回る台風は1980年までの80年間、10年に8つ来ていたが、温暖化が進むとともに減少し、それ以後は5つぐらいしか来ていなかった。2013年のフィリピンの被害は「これまでにない台風が温暖化でできた」のではなく、「温暖化して大きな台風がなくなったので不意を突かれた」というのが正しい。

 

政府、気象庁、NHKはすでに「国民の命を救う」と言うことより、「利権をむさぼる」方向にはっきりと舵を切っている。「温暖化」を原因にすれば、災害の責任は逃れられるし、原発を再開することができるので利権を取れる、また、NHK以外のマスコミも異常気象をあおるほうが視聴率が取れる・・・かくして、今回の雪でも犠牲者がでた。冗談では済まされない問題である。

 

かつて「温暖化で海水面が上がる」と盛んに言われたことがあった。それをもとに「温暖化を阻止するためにCO2を削減しよう」という話になる。しかし、これは「思想」の問題ではなく、「科学」だから、CO2を削減しても海水面は変わらないので、結果としていつまでも災害はなくならず、日本は大変な被害を受けることになる。

 

「温暖化の幻想」が複雑になるのは、3つのまったく異なった内容を含むからだ。
1)地球の気温と気象の変化という純粋に科学的なこと、
2)人間は限度を知って抑制しなければならないという哲学的なこと、
3)先進国が途上国の発展を抑えようとする政治的なこと。

 

だから、いつまで議論してもケリがつかない。本当は、まず1)を明らかにし、3)を整理し、そして総合的に2)を考えるという順序が必要だが、多くの日本人はどうしても最初から2)が主体となる。

 

その一つの原因が「NHKが温暖化防止を報道しているから、1)や3)は解決済みだろう」という先入観があるからだ。でも、NHKは1)や3)をよく検討して2)を言っているのではない。「政府が1や3は解決済みだ。だから2だけを報道すればよい」というスタンスだ。

 

籾井NHK会長が「秘密保護法は政府がやるといっているのだから、報道は必要ない」と言ったが、それと同じ思想だ。また、佐村河内事件に関するNHKの過熱報道(現代のベートーベンと囃したこと)でみられるように「事実取材」はほとんどせずに、「この方向であれば多くの人の感覚に合う」という目的を持った報道をするからである。

 

今、オリンピックが行われていてその報道が盛んだ。もちろん日本人の活躍はうれしいし、感激もする。でも、スキーでは滑降、回転、大回転、アイスホッケー、クロスカントリーという冬のオリンピックの主力競技はほとんど報道されない。

 

テレビや新聞の報道は、日本人が感激するものだけではなく、世界の動きを知るという大切な役割がある。日本人のことだけを報道するならNHKはいらない。民放が繰り返し報道するからだ。

 

気象変動からオリンピックまで、報道が冷静で多くの国民が世界の一員として知らなければならないことを伝えることもまた報道の重要な価値であると知らなければならないだろう。

 

(平成26220日)