「2014021013221322.mp3」をダウンロード

 

NHKがすでに歴史的役割を果たし、日本では要らないことはあまりにも当然である。NHKに勤めている人の職がなくなるということだけが唯一の存在理由だが、視聴者から見れば、NHKが映らなければ民放を見れば良いのだから、別にどうってことはない。

 

視聴者から見て必要もないものに受信料を払うのだから、人の良い日本人もNHKには辟易しているのは当然でもある。NHKの中にも良い番組もあるが、NHKがなければ「NHK的な番組」に日本人の興味があれば、当然、民放が作るから市場原理が働き、より良いテレビやラジオになることは間違いない。

 

しかし、NHKが存在する理由がNHKの職員の給与のためだけというなら、むしろNHKをつぶして「NHK社員収容所」というのを作り、仕事はしなくてよいから、給料だけ支給するようにすると、受信料は現在の4分の1以下になるから(現在の人件費の比率だけ)、そのほうが日本人は喜ぶだろう。

 

つまり、「NHK社員収容所」を作ると、NHKの番組はなくなるが、民放が放送してくれる。そして私たち日本人にとっては情報提供は変わらないのにNHK受信料が4分の1になるからである。

 

またNHKの人の放送人としてのプライドも保たれる。なんといっても、NHK以外のあらゆる放送局が「良いものを作って国民に価値を認めてもらい、その分で生活をする」というまっとうな仕事をしているのに、NHKだけは「どんなつまらない番組を作っても、戸別訪問して強制的に受信料を取立て、契約に同意しない人を訴える」というアウトローまがいのことをしているから、さぞかし良心的なNHKの社員は心の負担に苦しんでいるだろう。

 

ところで、そんな中だから仕方がないかも知れないが、作曲サギ事件でNHKはとんでもない番組を放送した。2013年3月、NHKNHKスペシャル「魂の旋律―音を失った作曲家―」を大々的に放送、このほかに「あさイチ」でサギ作曲家佐村河内守の番組を組んだ。そして2014年2月5日にNHKの全国ニュースで作曲サギであったことを報じ、「取材や製作の過程で検討やチェックを行ったが、気づくことができなかった。視聴者の皆様に深くお詫びいたします」と謝罪した。

 

長いアウトロー的仕事によってNHKがすっかり判断力を失ってしまったことが良く分かる。音楽の愛好家なら曲を聴けば、それが新垣さん(本当の作曲家)のものであることがすぐわかる。ベートーベンの曲を聴くと、それがベートーベンの作曲であることは曲を知らなくてもわかる。音楽と言うのはそういうもので、作曲家の作風というのはごまかせないものだ。

 

またNHKスペシャルの取材はかなり長く厳密にするので、サギ作曲家がピアノを弾けないとか、音を聞き取れないとか、小さい頃の家にはピアノがないなども知っていたと考えられる。つまりサギ作曲家だけが「詐欺師」だったのではなく、NHK自体が詐欺師だったという可能性は非常に高い。

 

本業での間違いは謝った済むものではない。視聴者への受信料の戻し、1か月の営業停止、心理的なショックを受けた人への補償、オリンピック選手と関係者への補償・・・補償金を支払うのはもちろん経営者の自腹だ。

 

そんな中、NHK経営委員が都知事選挙の応援演説で、落選した田母神さんの応援をして、他の候補を「人間のクズ」と非難した。詐欺番組で多くの国民をだました経営委員が、他人を人間のクズと言っているのだから、放送の経営などできるはずもない。

 

(平成26210日)