安倍首相が国会で「道徳教育の導入」に意欲を見せたと新聞が報じていたが、教育のむつかしさは、「教育する人が道徳的か」ということだ。人を教育するのに口先だけでは子供の心に届かない。
東京都知事選挙で、2年前に「自民党を除名」した舛添さんを自民党を支持した。舛添さんが単独で自民党を離党したならまだ考えられるが、除名するというのは自民党自体が舛添さんの行動や政策に対して「相いれない」と公的に宣言したに過ぎない。
「除名した人を支持する」というのは「非道徳的」である。こんなことを学校で教えるとどうなるだろうか? 「人間は口先だけで良いのですよ。損をすると思ったら友達を嫌いになり、得をする時には友達と接近すればよいのです。人間には誠意や一貫性などは必要ありません。」と教えなければならない。
これまでも日本を指導する立場の人が非道徳的であるのは、「特殊な状態」ではなく「一般的」という恐ろしい、道徳破壊社会だ。その中で道徳教育をするのは非常に危険で、ちょうど「企業倫理」がCSRという言葉に代わった途端に、「悪いことを言いくるめて切り抜ける」というのが企業倫理になってしまったのと同じ経過をたどるだろう。
鳩山元首相の月1600万円の贈与事件、福島原発事故の1年1ミリ隠ぺい事件、民主党の公約違反事件、赤字国債など1000兆円の上る政府の借金を政府が踏み倒そうとしている事件など、日本の指導層には「道徳違反」ばかりである。
日本の指導層が行っていることを学校で教えると次のようになる。
1)普通の人は、年110万円以上を贈与するとかなり高い贈与税を払わなければならないけれど、偉くなると1年2億円を母親から贈与されても払わなくても良い。その実例が鳩山元首相だからよく覚えておきなさい。
2)法律で決まっていることは守らなければいけないけれど、守ると損になるときには友達を集めてみんなで「そんなことは決まっていない」と言えば、守らなくても良い。福島原発の時に政府は専門家を動員して1年1ミリという被ばく限度を隠したからよく覚えておきなさい。
3)個人の場合は約束を守らなければならないけれど、みんなと一緒に大っぴらに約束を破れば大丈夫。特に偉くなったら権力があるから、いくら約束を守らなくて詐欺罪にもなんにもならない。だからよく勉強して偉くなって約束を守らなくても良い地位まで行きなさい。民主党という党が実例だからよく覚えておきなさ
4)人からお金を借りて返さなかったら、牢獄に入らなければならないけれど、偉くなったら、自分で「借用証・・・国なら国債」というのを出してお金をもらい、それを使っても良い。もし「返してくれ」と言ったら、自分の方が偉いから貸した人からお金を取り立てて返せばよい。2014年から政府が国民から借りたお金を返すのに国民に増税したけれど誰も「借金を踏み倒すな」と言わなかったことをよく覚えておきなさい。
5)いいかね。偉くなることは大切だ。贈与税も払わなくても良いし、法令も知らないと言えばよい。約束は反故にできるし、借金も踏み倒せる。なんでこんなことができるかというと偉い人は権力を持っているから、ズルい人がみんな味方に付いてくれるからだ。だから勉強しなさい。
こんな教育を本当にしてもよいのだろうか??
若干、専門的になるが、日本ではまだ「道徳」と「倫理」がはっきりと区別されていないし、専門家の間でも曖昧だ。道徳というのは偉い人が規範を決めて社会が容認した「善」の判断の基準であり、倫理というのは倫が「相手」だから「相手の理(ことわり)」で、相手の希望することを善とする。
倫理の黄金律は「相手のしたいことをしなさい」、あるいは「相手のしてほしくないことをしない」だ。安倍首相は「日本人としてのアイデンティティー」と言ったが、アイデンティティーというのが英語なので、この表現では道徳教育の内容がはっきりせず、恣意的になる可能性もある。
しかし、学校における「倫理教育」は必要である。すでに戦後70年を経るのだから、公衆道徳や社会人としての基礎的道徳から始め、まずは文科省主導ではなく、学校の先生方の研究会を先にする必要がある。
(平成26年1月29日)