日本の社会が明るくなるためには、いろいろなことを改善しなければならないのですが、そのうち、最初に直しておかなければならないのが、「人をバッシングせず、内容を批判する」ということです。
もしくは、国民が「内容を批判せずに人をバッシングする人を、テレビに出さない、見ない、読まない」ということになれば、だんだん改善されていくと思います。私の経験をもとに、具体的にどのようなことかを整理していきたいと思います。
私が名前を挙げて批判している3人の一人で、かつて東大教授だった安井という男性がいます。この人が私が私立大学にいるころ「リサイクルしてはいけない」という本を出したり、後に「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の批判として、「私は本を読んでいないが、どうせ書いてあることはいい加減だ。私立大学の人だから売名だ」と大々的に言った。
それを受けて、ある地上波テレビの大手が「私立大学の先生が売名のためにリサイクルに反対している」とこともあろうに、朝8時の番組で私を名指しで非難した。書いてある内容の批判どころか、「本を読んでいないが」、「どうせ私立大学の先生だからいい加減だ」という。
内容どころか、読みもしないで批判する。安井はその数年前、文科省から巨額な「リサイクル研究費」をもらっていた。でも、このような人の言うことをテレビ局も、後に大手の新聞も連載を載せていた。人の書籍も読まずに「私立大学だから」とバッシングするのは「人と思えない不誠実」と言わざるを得ないので、呼び捨てにすることにしている。
次に原発事故が起こり、私は多くの人が被曝を避けられるようにと、頑張った。当然、テレビやいろいろなところに出る機会も多かったが、その時、サンデー毎日に山形県出身の評論家が、「武田は口数が多い。自分の郷里のことわざに**というのがあり、口数の多い奴はウソを言う」と書いた。
有名な評論家だったので、多くの人が注目し、私に警告を発した人もいた。評論家として仕事をしているなら、私が言っている内容について言及すべきであり、口数が多いというようなことで批判するのは人格を疑う。
でも、哀しいことに日本には「他人の意見を静かに聞いて、自分の意見を述べ、その違いが事実の認識なのか、それとも立場なのか、心を開いて話し合う」ことをせずに、社会の指導的立場にありながら、上の例のように「故なきバッシングして、他人を貶めたり、対立をあおる」人がいるのは実に残念である。
日本はそれほど悠々とやっている国ではない。沖縄の問題、TPP,景気、若者の就職、原発の危険性、不安定な年金など多くの問題を抱えている。だから、できるだけ対立に至らず、事実を共有して意見を整理し、合意をしていかなければならないのに、これでは日本が発展するのはむつかしい。
知識人自体が、「他人を罵倒する」より、「事実を確認し、意見が違う原因を明らかにし、合意に向かう」ということに徹することが日本再生の第一歩だ。
(平成26年1月29日)