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先日、あるテレビ局の報道のフロアーで「四日市の事故で熱交換器を数年、掃除していないとはひどいと報道されていますが、熱交換器は何年ごとに掃除をするべきものなのですか?」という質問を受けた。

 

「特に決まりはありません。原子力や高圧ガスなどの法令で決まっているものを別にすると、解体しなければならない時期に個別に決めます」と言いました。その人は「そうでしょうね。マスコミが適正な点検時期をいわずに、ただ数年ほっておいたのはひどいという方がおかしいと思います」と言われた。

 

マスコミが批判にさらされている中ですが、このような高い見識を持ったマスメディアの人も多いことを紹介しておきたいと思います。

 

ところで、ちょうど同じ日だったのですが、テレビ朝日の「ニュースステーション」を見ていましたら、東京都知事選の件でコメンテーターが「ふんだんに電気を使っている現在の生活を直さなければならないのは当然」と発言しましたが、こんな不見識な人が一方では全国放送でコメンテーターをしている(採用している)というひどいこともあるのです。

 

日本は「ふんだんに」どころか、電気の使い方は実に節約的で、もっと自由に使って国民の活力をあげなければならないというのが、世界的な見方です。というのは、アメリカが製造している電気が8億キロワット、日本が1.8億キロワット。一人当たりに直すと日本人はアメリカ人の半分しか電気を使っていません。

 

電気を使えば幸福になるわけではありませんが、清潔で快適な生活を送ることができ、国民の幸福や活動量の増大に役立ちます。また、グルメでもケーキでも、お酒でも自動車、音楽コンサート・・・なんでも電気と同じようにエネルギーを使うものですし、電気をつけて明るい生活をする人の人生を制限することはどうでしょうか?

 

むしろ政府は必要なら発電所を作り、マスコミは国民に「安心して電気を使ってください」と呼びかけるべきです。電気は発電所を作ればできるのですから、国民が使いたいだけ作れば(それでもアメリカまではいかない)よいだけのことです。

 

キュウリを生産する農家はキュウリを食べれば栄養にもおいしい食事もできるという信念をもって生産してくれなければなりませんし、自動車の製造会社は、わが社の車を買えば豊かな生活ができると思っていてくれる必要があります。自由主義の下では国民が自由に自分の思想や人生にとって良いものを選択し、それを自由に手に入れることができないといけない・・・それが生産者の最低の道徳です。

 

その中で、電気だけを特別扱いにして、節電とかいろいろ言って制約するというのだったら、共産主義か絶対王政にして官僚が国民の人生を決めたらよいのではないかと思います。電気が他の製品と比べて特殊ではないのですが、独占企業で原価方式なので、「売らなくても儲かる」という今の電気料金がこんな奇妙な状態をつくり、それで国民同士がイジメあっているという感じがします。

 

(平成26123日)