「民主主義は大切だ」と言っても、具体的に民主主義の社会にいなければ民主主義が良いと言ってもどうにもならない。そして私が思うに、現在の日本は「選挙の方法すら民主主義ではない」と思う。
日本は今、小選挙区でそれに比例区というわかりずらい選挙制度になっている。「一票の格差」が話題になっているけれど、私には小選挙区こそが民主主義を破壊していると考えている。もう少し踏み込んでいえば「憲法違反」と言っても良いだろう。
憲法には「成人による普通選挙」をするとしか書いていないが、日本の民主主義は「間接民主主義」で、一人一人の国民が政治を判断するには数も多いし、時間もないので、「代理の人」を選んでその人に判断を任せるようになっている。それが代議士だ。
人間は細かく言うと一人一人の考えが違うので、自分の考えとぴったり同じ人を探すのはむつかしいが、「考え方が似ている」という人はいる。たとえば自民党が「自由に経済活動をして、少しぐらい貧富の差があっても良い」という考えで、社会党が「経済活動の結果生じた貧富の差はできるだけ社会保障などで平均化する」という考えだとする。
そのぐらいざっと決まっていれば、まずは「どの党に入れるか」というのは決まる。でも、平和憲法をどうするかとか、教育問題はどうか、など個別のことになると、やはり「党」だけでは全面的に支持することはできない。
2013年の秘密保護法のように、自由な活動を支持している自民党が、「規制」を強くしようとするのだから(外国からの特殊な秘密情報に限定するなら別だが)、自由が良いからと言って自民党に投票するわけにはいかない。
でも、自民党でも「良心派」、「タカ派」、「リベラル派」などがあり、人によってニュアンスが違う。だからおおよそを「党」で選び、その中の「人」を代議士として選ぶことができれば、私たちは「代理」の人を選挙で選ぶことができる。
ところが、今は「小選挙区」だ。小選挙区になったのは「お金がかからない」からというが、もともと選挙にお金をかけることが間違いで、なにもアメリカ式選挙に毒されなくてもよい。
日本人は日本の選挙として、まず政策、経歴、考えかた、政治家になってからの実績などを見れば、おおよそその人の人柄などもわかる。でも、自分が選挙する選挙区に同じ党の人が10名ぐらいいないと、「この人」と思って投票することはできない。
「この人」がいない現在の小選挙区制や、まして誰が当選するかわからない比例区などは実に選挙民を馬鹿にしている制度で、一票の格差どころか、実質的に選挙権をはく奪しているようなものだ。これが「おカネまみれの政治家」ばかりになる原因の一つになっている。そこで改善を急がなければならない。
国会議員はおおよそ500名ぐらいで、北海道、東北、関東、東京、中部、北陸、関西、中国、四国、九州に分けると10地域だから、1地域で50名の当選者となる。このぐらいいれば「自分が投票したい人」がいるだろう。
私が「県単位」の選挙区ではなく、地域単位が良いと思うのは、県には県議会議員がいるので、それで県単位は良い。だから国会はそれより全体的なことをするのだから、本当は200名ぐらいで、天下国家のことを議論するほうが良く、別に「数合わせ」をする必要もないからだ。
そうなると一つの選挙区で10名から20名程度の当選者になり、候補者が40名程度。自民党から15名、野党から15名、その他10名ぐらいが立候補してくれると選挙にも行く意味が出てくる。
現在の選挙の方式は一票の格差も同じだが、「国民のための選挙」ではなく、「議員のための選挙」で、このようになるのは現在の議員が「自分のことだけ」を考えているからだ。それを打破すること、投票率を上げることなどをするためには、「選挙民のための選挙」にしなければならないのは当然でもある。
ここで一つの例を書いたが、選挙区の決め方はいろいろあると思うが、いずれにしても「議員がお金を安く選挙をやるために」などということは小さいことで、「民主主義的選挙をする」ということを考えなければならないのは当然だ。
多くの人が「適当な人がいない」という理由で選挙に行く気が失われている。その結果、投票率は下がるし、選挙民の18%しか支持していない自民党が圧倒的多数を得て、数の力で法律を決めていくのは不適切であることは間違いない。
大切なことと枝葉末端のことを分けて判断する力が必要だ。
(平成26年1月2日)