あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
未来が明るいかくらいか?というのは子を持つ親のもっとも大きな関心事の一つであり、子供とは関係なくても人間がもつ基本的な懸念でもある。
明るく感じるか、暗く感じるかの分かれ目を二つに分けて整理をしておきたいと思う。
1)未来が明るいと思う考え方: 私がときどきいう「皿洗いの原理」で、洗剤をたっぷり使って油にまみれたお皿を洗ってもなかなか取れないことに困っていた主婦が、ある時に少ない洗剤でさっと洗える方法を学んだら、どうしても古い方法で皿を洗うことはできなくなるということ。
2)未来が暗く思う考えかた: 現在の事実で未来を推定すると、未来は状態がかわるので、常に矛盾が生じて暗い未来が見える。その典型がメドウスが未来を描いた「成長の限界」で、1970年の科学技術を固定して、未来を予測すれば「人類は21世紀に滅びる」という結果になる。
つまり「人間には向上心がある」とか、「人間には知恵がある」、「人間社会は変わっていくものだ」ということを認めるということだ。こんなに当たり前のことを多くの人が認めず、その結果、未来を暗く描く人がもてはやされることが多い。
この写真は日本の家庭が100年たつとどのぐらい変化するか、自分の目で見るためにときどき使うものだ。1870年ごろの日本の集落では、藁ぶき屋根、井戸・・・など不衛生で粗末な日本の日常生活が目に浮かぶが、1970年の日本は電化製品が整い、まるで違う世界だ。
この二つの写真を見せて「どちらで人生を送りたい?」と聞けば全員が1970年を選ぶだろう。このような変化が起こるのは「お皿の原理」に他ならない。どんなことでも人間は「少しでも良いように」と思って毎日を過ごすので、徐々にあらゆることが改善されてくる。
もう一つ、いつも示す図を下に掲げたい。これは1920年後から100年間程度の日本人の平均寿命の変化だ。1920年ごろの日本人の平均寿命は男女とも43歳で私なんかはすでに死んでいる。
それから見ると、現在では80歳程度の人生を送ることができる。これも「どちらの時期に生まれたい?」と聞くと、40歳で人生が終わるほうを選択する人はいない。
だから「歴史的事実」は明らかに「未来は現在より明るい」ということを示していて、それに対して「これからは全く進歩しない」と事実に反することを妄想的に考える人の意見に引きずられないようにしなければならない。
「今日より明日は良くなる」という未来に対する確信と、「昨日は晴れ、今日も朝」(昨日、どんないやなことがあっても晴れていたと思い、今日も朝が来たのだから一日だけでも張り切っていきたい)というモットーで生活したいと思う。
(平成26年元旦)