いつ頃だったか、正確には思い出さないけれど、3,4年前、あるところで私がNHKの批判をしたら、そこにいたタレントが「先生はいいですね。われわれは紅白があるからそんなこと言えません」とつぶやいた。
国民から強制的に受信料をとり、事実でもないものを繰り返し報道するNHK、放送法第3条に違反する報道を続けても逮捕されないNHK、その理由を見た感じがした。
紅白歌合戦の舞台に立てるかどうかでタレントのギャラが全然違うという。そのためにタレントはNHKににらまれないように、絶対にNHKを批判することはできない。逆にNHKにゴマをすれば紅白歌合戦にでることができる。事実、そうだと思われるタレントや歌手をこれまでずいぶん見てきた。
手が込んでいるが、ドイツのナチス以上の「表現の自由の束縛」である。表現の自由の束縛は、憲兵、秘密保護法などもあるけれど、もっとも陰湿なのは「裏で操作する自由の束縛」だ。そしてあまり親しくなく、交友関係も短い私にタレントが言うところを見ると、精神的にはかなりこたえているのだろう。
確かに、どんなつまらない番組を作っても、どんなにサボっても国会議員対策をしておけば安泰なNHKは、「番組に使わない」という手を使って、日本の報道や表現をすべて規制する影の力をもっている。その点では、NHKは正義の仮面をかぶっているけれど完全なアウトローであると思う。
お金が自動的にあつまり競争のない巨大組織が、これまで時間とともに腐敗しないことはない。今度、NHKの経営委員が決まったが、経営委員そのものが「批判をしない人たち」で固められている。これでは、1)政府より、2)表現の自由の束縛、を続けるに相違ない。
NHKは「NHKを批判した人を積極的に使う」ことで、表現の自由を束縛していないことを天下に示すべきだ。そして裁判所はそれをしないNHKを「憲法違反団体」として「受信料徴収禁止」を決めるべきだろう。消極的犯罪という新しいジャンルを法律関係者も研究して欲しい。
もしNHKがまったくタレントの発言で差別的取り扱いをしないという場合、表面的に見て、明らかに「独占的放送局の巨大番組の出場」がギャラを決めているという現状と、紅白の選定基準が明確ではないことについて、それが表現の自由を束縛しないという理由を述べること、普通の心を持ったタレントがNHKを批判できないということは当然のことだということを認めて、具体的な防止策を発表する必要があるだろう。
日常的にほとんど歌謡曲が歌われない現代の日本社会にあって、1年に1度しか聞かない歌を聴くのが国民的番組というのもどうか。
(平成25年12月30日)