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「ニートで何が悪い!」という人がいます。たしかに少し考えると、「お金があるのだから働く必要は無い」と考えるのも理屈が通っているような気もします。

では、なぜ憲法で「勤労の義務」が定められているのでしょうか? 勤労の義務というのだから、国民はお金があろうとなかろうと働かなければいけないというのです。

この二つの考えはまったく違う方向ですが、単に「憲法に定められているのだから、働け!」というのではニートの人も納得しないでしょう。勤労の義務とはどのような「論理と道徳」で成り立っているのでしょうか?

お子さんを教育する上でも、定年制度や生活保護制度を考える上でも、この関係を考えないで結論を出すことはできません。

人生でやるべき事は3つあります。
1)自分が生き、仕事をすること、
2)自分が生きている社会に貢献すること、
3)次世代を作り、次世代の生活の基盤を守ること。

人間がもし「集団性生物」でなければ、社会に貢献することも、また次世代を作ることも必要ありません。自分一人で山の中にこもって生活をすれば良いし、「子どものない生物」として直ちに絶滅するからです。

でも、人間は一人では生きていくことができません。また、男と女の二人で生活もできるし、子どもはできますが、子どもが結婚する相手がいないので孫ができませんから、これもダメです。集団性生物というのは「社会」と「次世代」は必ず必要です。

そうなると、人間の義務とは、
1)自分の食べるもの、着る物などを自分の力で獲得する、
2)社会の中で自分がすべきことをする、
3)子どもを産み、縄張りを子どもに与える、

ということになります。1)と3)は簡単ですから、2)を説明します。(子どもを産んだだけでは生きていく土地がないので、「縄張り、土地」などが要ります)

このことを考える時に、日本は12千万人もいますから、少し大きすぎるので、100人ぐらいの集落に住んでいるとします。100人で生活するには、お米を作ったり、田畑を耕す鍬(くわ)の鉄を作ったり、着る服の布を織ったり、食事を用意するする必要があります。それを共同でするには、50人が田畑で働き、20人ぐらいで大工さん、鍛冶屋、織り子さん、道路工事人、炭焼きなどの生活必需品を確保し、20人ぐらいで子どもを育てたり、食事を作ったりして、残りの10人が神様、軍隊などを担当することになります。

そうして100人が「力と心」を合わせて生活をしているうちに、10人ほどの人が「財産ができたから俺は働かない」と言い、10人ほどが「働くのがイヤになったので働かない」と言い始めたとします。そうすると、残りの80人が働いて、ブラブラしている20人の世話をすることになると、気持ちは穏やかではないでしょう。

特に人間は疲れているときや体の調子が悪いときもあるのに、なぜ自分は働いているのにあの人は働かないのか?と不満になると思います。

「みんなで力を合わせようや。お金やワガママの問題とは違うよ」ということになります。お金を持っている人が少し「良い生活」をするのは問題がないにしても、働く事ぐらいはみんなでやろう、それが人間というものだ、と考えるのが「まとも」でしょう。

つまり「働く」というのはもともと、「お金のため」ではなく、人間が集団で生きるのに、それぞれが分担するということです。それは狩りをする時でも田植えでも同じだからで、それが憲法で定める「勤労の義務」の根拠になっています。

ところが12000万人ぐらいになると、だれが働いているのか、お金があるからと言ってサボっているのか、はたまた働けるのに生活保護を受けているのかが判りにくくなります。でも、そこは「人間としての心」、「日本列島に住む日本人としての心得」、「自分だけが得をすることは良くないことだ」というような心の問題になります。

私は嫌いな言葉ですが、東日本大震災の後「絆(きずな)」という言葉が流行しましたが、本当に日本人が絆を大切にするなら、働かない人や生活保護の人はいないはずです。

お金があっても私は少しでも働くべきと思っています。まさに「みんなで支え合って生きていく」、「自分が食べるご飯も、着るものも、電車も「誰かがやってくれないとない」し、それがないと自分の人生はおくれない」と思うからです。

私が理想とする日本は、「みんなが自由に職業を選び、額に汗して働き、いただいたお金で自由に生きる」というもので、働かない人は何らかの「病気」ですから医師の診察を受けて入院し、治ったら全員が働くのが良いとおもいます。だから私は「生活保護全廃論者(定年全廃との関係では生活保護となりますが、ここでは第一段階の整理として生活保護も要らない可能性があるとします)で、その代わりに学校では「働かないことは恥ずかしいこと」と教え、医療では「働く事ができない人はできるように病院で治療する」ことを研究するとよいと思っています。

つまり、簡単なことですが、「人間とは自分で働き、社会に貢献し、次世代をつくる存在」ということをはっきりし、「働く事ができない人には、みんなが温かい心で理解し、一緒に生活する」という感じです。

(機会があったら、次に教育中と定年後について整理をしたいと思っています。)

(平成251028日)