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このブログで2つの「緊急」を出した。一つは北茨城市の高い放射線の測定、もう一つは気象庁の「経験したこともない豪雨」の予測だ。

まず最初の高い放射線の報道だが、ここにはサンケイの報道を示すけれど、記憶ではヤフーなど複数の報道があった。

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しかし、その後、テレビ、新聞はもちろん、原子力関係機関、北茨城市からも情報提供が行われていないようだ。もしこれが「誤報」なら、北茨城市も「誤報である」という説明をホームページに上げるべきだ。

おそらく、今の所、表示していないのは、「誰かが勝手に誤報を流したのだから、コメントする必要は無い」という官僚的なことを考えているのだろう。誤報であろうと無かろうと、市民が心配していることについて、市が積極的に情報を流すことはとても大切なことだ。「風評」というのは「情報がないところからでる」とされているが、まさに市自身が風評を作り出している。

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また、山口県の豪雨に対する気象庁とマスコミの報道も「知性が無い」の一言に尽きる。原発である知事が「どうせ県民に数字を言っても判らない。安全か危険かだけで良い」といって食品の測定値を公表しなかったのに似ている。民主主義なのに主人(国民)を下に見ている。

「今まで経験したことのない豪雨」という極端な説明がつき、「1時間に138ミリは7月の豪雨としては全国で2番目」という報道もあった。私の記憶とは違うので、調べてみると実に無責任というか、知性の感じられない報道だ。主語がない。

まず、気象庁が使っている「記録」は「アメダスが動き出してから以後、もしくは100キロごとに一カ所、観測所があった時代で気象庁が「正式」と認めたところ」に限定されている。

今後もアメダスの設置場所が増えると、たとえば「新宿では経験したことがないが、渋谷では10回経験している」などとなる。今回もそれもハッキリしない。

アメダスは試験運転は別にして、本格的には1993年からだから、まだ20年しか経っていない。つまり「今まで経験したことのない豪雨」というのは20才より以下の人に対して言っていることになる。どんなに古くてもアメダスの観測開始が1979年だから、34才未満の人に限定される。

テレビの画面ではどう見ても60才以上と思われる男性が「生まれてから初めてですね!」と言っていた。おそらくはテレビで錯覚したのだろう。つまり、主語が抜けていて「20才以下の人でこの町にだけ住んでいた人」に限定されている。

また、「138ミリが7月の雨量として全国2番目」というのも、かなりのトリックがある。まず、豪雨は6月とか7月とかいう「月」が重要なものではない。よほどの特別な事が無い限り、6月の集中豪雨と7月で被害が違う事もない。

150ミリから140ミリ台の豪雨は数年ごとにあり、さらに「アメダスの公式記録」にこだわらなければ、1982年の長崎の186ミリもある。

科学的データ処理の原則は「根拠のない制限」をしてはいけない。たとえば、豪雨は728日だったが、「過去、728日の記録では全国で最大」という言いかたもできる。この場合、「1年」、「梅雨から夏にかけて」、「7月」、「7月上旬」」、「728日」、「728日午後」などの制限があり、制限条件があるとしても「雨で地盤が緩んでいる時期の豪雨」という点では、「6月から10月」となるだろう。そうすると今回は平凡な記録だ。

災害を防ぐには、第一に科学的なデータを示すこと、第二に大げさでも内輪でもない表現を使うこと、だ。また今回の豪雨の報道に私が違和感を感じるのは、1300ミリ、1時間130ミリ程度に「毎年のように起こる豪雨」を「記憶にないほど」ということによって「治水事業の遅れに対する責任回避」のにおいが強いからだ。

情報というのはそれ自体は正確性が第一で、その情報に基づいて、次の行動が取れることが大切だ。そのためには、地元住民は雨の程度と、治水、自分が住んでいるところの状態を正しく把握し、普段から改良を加えなければならないが、すべてを「想定外」として責任を逃れていると思う。

(平成25729日)