北朝鮮の映像がテレビに映って、同じ服を着て歩いているのを見て「まだ、あんな社会か」と言った人、その日本人がネクタイを取るのも政府の号令がなければできない。
今日も会議室の壁に「私もクールビズしています」というポスターが貼ってある。今年は5月1日に寒さに震えて役人がクールビズというものを始めていた。6月に入るとスーパークールビズとかいう乳首に見えるシャツが登場した。
環境省のお役人は税金を使ってクールビズなるものを始め、利権化し、広告会社に100億円を払い、仕事を作り出している。日本には昔から「衣替え」というのがあるが、誰も強制しない。文化の香りがするよい国だった。
国の発展というのは少数のエリート官僚がすべてを考え統制することでは達成できない。それを具体的に示したのが共産主義の失敗だ。「大知」という言葉があるように人間の脳は多数の人が考えた方がよいので、政府のやるべきことは「できるだけ自由に」という方向だ。
この場合でも、たとえば日本文化に「衣替え」というのがあれば、「エアコンの発達した社会になったので、衣替えをしなくても良い環境や、やはり従来通りの生活パターンでも良い環境を作ろう」という方向にしていくのが未来が拓けることになる。
独創性や自由のない社会は滅びていく。
(平成25年7月10日)