最近の世相を見ていると、一人前の男になんとなく余裕が無いように見える。指導層は自分の利権を最大にと策謀しているし、生活がやっとという人たちは自分のことだけで精一杯だ。
お年寄りは年金を当てにしていたのだけれど裏切られ、年功序列がなくなり、労働組合も衰退して仕事は厳しくなるばかりだ。
社会が複雑になり、日本の指導層やNHKが策謀したとおりに、富と時間的余裕は一部の人たちに独占されていて、日本人の一人一人が政治を論じ、将来を考え、親として責任ある一員として考えられなくなったような気がする。
私が異論を唱えている「クールビズ」や、ご婦人がすっかり騙された「節約は美徳」などがその一端ではないかと思う。でも「女性手帳」が制度化されず、「国民総背番号制」が進まないように、多くの人が矛盾に気がついているように見える。
「東海地震、予知できず」という先日の中日新聞の見出しはなかなか刺激的だった。40年前「予知できる」として膨大な税金とその結果の3万人弱の犠牲者の恨みは深い。
40年前に「できる」という科学が40年後に「できない」にかわることはない。科学は積み上げて厳密な論証をもとに進むので、できることができなくなることはない。できないことができるようになるのが科学である。だから地震予知は科学ではないし、また無かった。
原因は「架空の学問を仕立てて利権をとった文科省と東大」であり、親として、日本の将来を子どものためにまもる親の責任として徹底的に責任を追及し、悪いところを修理しておく必要がある。
それは親の責務である。
(平成25年6月10日)