「これはしてはいけない」ということが社会や人生には多い。
「道徳」というのはどこから来たのだろうか?
神道というのは自然に感謝することが主で、あまり「してはいけない」というのがない。
仏教もお釈迦様の時代にはそれほど「してはいけない」というのはなかったようだが、その後、次の事はダメなことになっている。
●殺す、残酷な行為、盗む、不品行な性行為、嘘、麻薬と酒。
これは現代流に言えば「法律」に相当しているので、仏教の基本的な教えは「道徳」から除いても良い.殺人などがダメというのは宗教に関係なく万国共通でもある。
でも、日本では親孝行とか礼儀などが「道徳」と思われている。それは神道や仏教よりも儒教(孔子様)だろう。
儒教
a)五常(仁、義、礼、智、信)
b)五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)
つまり、日本の「道徳」というのは簡単なように思う.
1) 神道の思想で自然と自分が生きていることに感謝する。
2)仏教の思想で悪いことはしてはいけないと思っている。
3)儒教の思想で義理や礼儀、家族・友人などが大切と思っている。
4)神様もおられるとは思うが、神様(人物像)を特定したり、具体的な神様の形を想像したりはしたくない。
16世紀頃、キリスト教が入ってきたが、「神様の特定」以外はそれほど違いがなかったので、あまり関心を示さなかった.
日本にはもともと儒教と同じ道徳観があり、あえて儒教と言わなくても良いし、これで良いのではないか?
(注1) 民主主義になってから、五倫は(家族、朋友、職場、地域、国家)になっているように思う。五常では、(誠、義、礼、智、信)かもしれないし、また強いて「5つ」に限定しなくても、その時に多くの人が合意できるものなら良いと思う。
(注2)仏教の中で「痲薬と酒」が入っているのはインドが南方の国だったことによる。だから日本では「痲薬と酒」は道徳律から外されていた。
(注3)儒教は男尊女卑だと錯覚されているが、これは中国の唐の時代に付け加わったもの。
(注4)仁(人を思いやる)、義(利欲に囚われない)、礼(現在の礼儀)、智(学問に励むこと。知恵があることでは無い)、信(言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること)。
(平成25年5月14日)