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ある県に言ったときにその県の教育委員会と高等学校の校長、先生にお会いし、高等学校の教育についてお話をしました。その県のほとんどの高校は正常に授業が行われていて、イジメなどのほとんどないとのことでしたが、かつて「学校が荒れている」と言われた頃には、授業の時に教室の後ろで「マージャン」をしている生徒に手を焼いたことをお話になりました。

読者の方で「授業中にマージャンをしても良い」と思う方は一人もおられないと思います。その時に先生はどうするべきでしょうか? 「マージャンを止めさせる」のが当然ですが、生徒はかなりの悪なので口で言っただけでは「フン」という顔をしてマージャンを続けます。

先生がマージャンの牌を無理矢理、取り上げると生徒がさらに荒れて授業はそれで終わりになります。かといって生徒の腕を取って席に座らせると体罰になります。

そこで、この場合は「高校を正常化するために、授業中のマージャンを止めさせる」ということで「先生と保護者」が一体となって「授業中のマージャン追放」を行いました。今では授業は正常化しています。

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授業中に後ろの方でマージャンをやっているという異常なことがなぜ行われるのでしょうか? 私自身もほとんどこれと同じ事で長年、苦労してきました。その理由はきわめてハッキリしています。

1)現在の日本社会が「公衆道徳」を決めていない、
2)
学校では先生の教えが「正しい」となっていない。

ということに尽きます。何をやっても良い社会という世にも珍しいのが今の日本社会です。

日本には宗教が無いも同然です。そして戦争に負けたことによって「親に孝行、兄弟相和し」といった日常生活の基本的な道徳も失い、「何をやっても良い」、「何が正しいかわからない」という社会を作ってきました。

それが70年経って、日本社会が教育でも、政治でも、学問でも、そして報道でも崩壊するのはある意味で当然でもあります。私たちは最低でもなにを「合意」できるのでしょうか?

1)高等学校の授業中、教室でマージャンするのは悪いことである?
2)電車の老人、妊婦などの席に若い壮健な人が座るのは悪いことである?
3)3人が横になって道を歩くのは悪いことである?
4)学校の外で先生に会ったら、挨拶をして頭を下げるのが良い??
5)親が亡くなったら駆けつけるのが人の道だ?
6)家族は大切だ?
7)授業中、静かにゲームをしている、

この中で法令で決まっているのは3)、つまり複数の人が道を横に並んで歩くことは軽犯罪法違反になる。つまり前から来る人に著しい妨害になるからだ。

1)や5)はかろうじて日本の社会が合意するかも知れないが、2)、4)そして6)、7)ぐらいになると人によって考え方が違うだろう。そうなると学校でなにを指導したら良いかわからなくなるのも当然だ。

このブログに書いたが、学生は「授業中に立ち上がって友達の所に行き、話をするのがなぜ悪い」と言う。確かに法令にも書いていないし、学校でも教えなかった。「人の迷惑になることはやらない」とか「弱い人に配慮する」ということすら統一できないのに、「絆」とか「環境」とか「自然に優しい」ということで合意できる日本社会が間違っていることは確かだ。

最終的に「悪いこと」が統一できないかも知れないが、せめて「何が守るべき事で、何が悪いことか」ぐらいの話し合いをした方が良いと思う。教育改革はそれができてからの事である。生徒を殴ることが「悪いこと」なのか、この日本では誰が決めるのだろう?

授業中、一人静かにゲームをしている学生を注意すると、決まって「迷惑は掛けていない」と言う。その学生は成績が悪いので落第させようとしても、文科省が定員規制を行っているので、落とすことはできないという漫画のような状態なのである。

私は体罰を一方的に批判するのでは無く、事実を見る勇気を持ち、前向きに解決する必要があると思う。先日、NHKが大阪の体罰の先生のインタビューを放映していたが、その最後に、アナウンサーが「体罰を追放しないと」と言ったので、すべては無意味になった。やはりNHKのような存在が体罰を残していると感じた。

(平成2538日)