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読者の方から「レ・ミゼラブル」のことで人生は「明日への希望と無償の愛」があればそれで十分というメールをいただきました。まったく同感です。その前に「どんなに不条理な社会でも」とあります。その通りですね。

私流に言えば、「この世は常に不条理だから」がまず第一で、社会を改善するように努力しなければなりませんが、それは遠い未来では無いかと思いますし、もしかすると今の人類が絶滅して、次の人類にならないとダメかも知れません。

不条理な社会でも「明日への希望」を持つためには、私の場合は「今日も朝」と言うことになりますし、「雨が降れば濡れる」ということでもあります。つまり、社会が不条理なのですから、自分が酷い目に遭うのは当然なのです。

それは突然の驟雨であり、その時にはずぶ濡れになれば良いとあきらめます。そして次の日の朝、もし命ながらえて起きることができたら、「ああ、今日もあったか! 今日一日だけ頑張ろう」と思います。

「明日への希望」=「今日だけ頑張る」というのは矛盾しているようで一致していると言うのがわたしの考えです。

そして第二は「無償の愛」、これを私は長くdedication(デディケーション)と言っていて、私の学生は耳タコです。日常生活のdedicationとは、「自分の関係ないことを夕方頼まれて、そのために疲れた体で徹夜して仕上げる」ということを言っています。言う易しですが、なかなか難しいものです。

不条理な世の中を嘆いても自分の人生は変わりません。不条理を直すように努力するけれど、それによって自分の人生に影響を受けない、それが良いのでは無いかと思います。レ・ミゼラブルでは「明日への希望と無償の愛」、これを武田流に言えば「今日も朝、デディケーション」ということになります。

本当のことは口にせず、少しオブラートを掛ける方が心に留まるような気がします。

(平成25115日)