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(アップしたこの記事に2つの誤りがありましたので、修正して再掲載します)

このブログでも取り上げましたが、自民党政権になって「インフレ・ターゲット」というのが話題になっています.これはかなり難しいことなので、多くの人は「それ、なに?」という感じではないかと思います.先日、まずは簡単な解説をしましたが、テレビなどを見ていると「日銀の独立性」というのが出てきます.

金融については政府の通りにしているとまずいことが起こるので、各国の中央銀行は「独立性」をもって通貨の供給量や公定歩合を決めることになっています.そして日本の場合、日銀総裁と日銀の理事会が実質的に決定します.

テレビで日銀総裁が「日銀は独立性を持っている」と言っていましたが、私は違和感を感じました。確かに慣行ではそうなっていますが、「日銀が独立性を持つ」という根拠はあるのでしょうか? まさに「空気が決めたこと」です。

日銀職員というのは公務員試験ではなく日銀独自の試験を受けて合格し、日銀に入るのを希望した人です.だから形式的には単なる民間の会社員です(日銀は株式会社で、政府が65%。個人が約40%).そして日銀の中で仕事をし、上司の査定を受け、昇進し、やがて理事になります.だから会社員で、国民から見て日銀理事の考えも、政策も、人の名前も聞いたことがありません。

それに加えて、個人株主の40%が誰なのかも公表されていません。これを現在の公的透明性の求められる日本の株式会社と言えるのかも不明です。

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一度も国民の前に姿を見せず、考えも示さない日銀理事が、選挙で当選し、首相になった人に「反対」を表明できるとすると、「民主主義のもとでの国民の判断」をどこに求めるのでしょうか? 2009年の民主党が勝った選挙がいかに間違ったものであったにしても、民主主義のもとでは、一応のハードルを越えています.

ところが、日銀理事はなんのチェックもなく首相の方針に反することもあり、それを白川日銀総裁は「歴史的に当然だ」と言います.でも、各国で民主主義の形態は違いますし、歴史的に当然だというほどの権力をもつ根拠は見当たりません.「歴史」は「権威」を与えるものではなく、権威は昔は天皇陛下や征夷大将軍が与え、現在では国民しか「権威」を与えるものはありません。

むしろ白川総裁の発言(日銀の独立性)は「俺たちは優秀で指導者だ。だから権威は自分自身で与えられる」という本人たちの意識だけに依存しているように思います.日本に民主主義を定着するためには、日銀理事の履歴、発言などをかなり頻繁に報道し、かつ理事は国会の承認を得る必要があるでしょう。

最高裁の判事は「国民審査」がありますので、一応、民主主義の形態を取っていますが、これもマスコミが判事の意見や判例などの報道を控えていることから、形骸化しています。最高裁判事、日銀理事などの「民主主義の手続きを踏まない」重要な職について形式的なシステムと、実質的な民主主義の実現をどのようにするのか、かなりの議論を要すると思います。

日銀がやや保守的な態度を取り、独立性を持つのは良いと思いますので、現在の最高裁判所の判事の国民審査を取り入れるのが適当と思います。そして理事の考え方、これまでの行動結果などをいろいろな形で公表していくことが望ましいと考えられます。

(平成2518日)