これまで社会に鋭い対立が生まれるとき、それはどこからどのように生まれるかについて、やや一般論を中心にして整理を進めてきましたが、今回は「私の身に起こったこと」を2つ取り上げ、その特徴を明らかにしてみたいと思います。
まず、最初に思い出すのは「リサイクル率」でした。今から12年ほど前、私は「リサイクルはしてはいけない」という本を出して、リサイクルが環境を破壊するものであることを示しました。この本を出したタイミングはリサイクルが実施される直前だったので、やや理論的な考察を中心としていました。
それから7年後、日本社会でかなりリサイクルが進んだ機会を見て、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか?」を出して、次のグラフを載せました。
そうしたら、1)リサイクル業者、2)環境運動家、3)マスコミ、はては、4)東大教授から一斉に「ねつ造」とのバッシングを受けました。グラフには3本の線があり、ペットボトルの売り上げ、焼却を含んだ公的な数字としてのリサイクル量(回収量)、それに私が調べた材料としてリサイクルしている量(再利用量)の3つでした。
私は「リサイクルといいながら焼却を数字に入れる」ことは誠意がないという考えですから、自分が調べた「材料としてのリサイクル率」を表示しました。
でもそれがあまりにも低かったので、リサイクル業者はトリック(ペットボトルをリサイクルして背広を作っているというウソ)がばれたから、環境運動家は事実を隠蔽していたから、マスコミはそれまでの報道と違う結果だったから、そして東大教授は「あのデータはねつ造と言われている」と巧みに自らの見解を述べずにあたかもねつ造のように発言しました。
ところがしばらくして、ペットボトルのリサイクルはほとんどされていないことが分かると、今度は「ねつ造」という表現を止めて、「武田独自のデータ」ということに変わりました。
もともとデータは学者が出すのが「正」で、それに基づいて官庁などが発表していたのですが、最近では税金が潤沢にあるので、役所自体がデータを出します。そうすると「公的データ」としてマスコミなどが取り上げます。
もともと、役所などの「公的データ」は大本営発表に代表されるように政治的ですから、学問的には使いません。学者は中立ですからその方が正しいとされていました。でも、今の日本はすべてを政府に握られているので、「政府にしっぽを振る人」が多かったのです。
しかも、私のデータは愛知県、三重県、岐阜県を現地調査し、そのほかは各種のデータを組み合わせて推算したものでした。マスコミは主にこの点をついて「3県しか調べていないのに」と言い始めましたが、個人の学者が調べられる範囲は決まっていますし、どこのデータかを言わなければ問題ですが、公言しているのですから、独自もなにもないのです。むしろ全国の正しいデータを出すのは政府とかマスコミの方でしょう。
いずれにしてもこの事件はペットボトルがリサイクルされていないことがわかり、私に対する批判も一段落しましたが、この例は「悪意によって火のないところに煙をたてて対決を煽る」ケースと分類できるでしょう。
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2番目はごく最近のことで、「タバコの喫煙率と肺がん死」に関して、おそらく若い人がネットで匿名の気軽さなのでしょう、「ねつ造だ」と言っているものです。
このグラフはもともと「喫煙率、肺がん死、年齢調整肺がん死」の3つが載っているグラフで、普通、私はこのグラフを「喫煙率と肺がん死の関係」を説明するときに使っているものです。講演で見たことがある人もおられると思います。
しかし、タバコのことではなく、このグラフを「科学者としての見方」の説明をするために、グラフの中の年齢調整肺がん死の線を消してブログに載せました。そうすると、「年齢調整肺がん死の線を消しているからねつ造だ」というバッシングをする人たちがいることがわかりました。
このようにグラフの一部を見せるというのは普通の手段で、たとえばパソコンを使う人なら、パワーポイントというソフトで、グラフや説明の一部だけを少しずつ示す方法を知っています。
ですから、一本の線を消したグラフを「ねつ造」という人は、それがねつ造ではないことを知っていて、それこそ「対立をねつ造」して楽しんでいるのだと思います。もしもともと「陰湿なイジメ」の狙いがあったり、タバコに利害関係があったら、かなり悪質ですが、匿名で分かりません。
おそらく、こちらの方は「悪意の対立」ではなく「イタズラ」とも言えますし、「幼稚性」でもありますから、正面から取り上げるようなことではないと思います。でも、「対立」の中に「利害」、「悪意」の他、「錯覚」、「イタズラ」、「幼稚性」などがあり、それが対立を激化することがありますので、ここで取り上げようと思いました。
ある人を批判する場合、批判する責任というのがあります。何でもかんでも批判することは許されず、まず批判する人の著作物を読んだり、その人の解釈を勉強し、自らの見解がそれと異なることを言います。
この場合、私はすでに年齢調整肺がん死についてブログでも述べていますので、批判する時には「なぜ、今回だけ年齢調整肺がん死に触れていないのか」を述べる必要があります。
そうすると論拠を失うので知らない顔をするというのが今度の手口ですが、これが学会などですと、そんな無責任な批判をした人はそれで学会にでることができなくなるでしょう。ネットだから、匿名だからという理由でいい加減なことを言うと、ネット文化自体を破壊します。おそらく若い人の集団と思いますので、将来を考えて自重を勧めます。
今回は、「科学的な見方の訓練」という意味で、私としては苦労して「年齢調整肺がん死」をコンピュータについているペイントというソフトを使って消したのですが、このようにデータのすべてではなく、必要なデータを示すのは普通のことで、これを「ねつ造」という人はよほど科学とは縁がない人なので、恥をさらすようなものですから、その旨をネットに書いて取り消した方が良いと思います。
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自由な発言というのは非常に重要なのですが、度を超えるとかえって自由は発言が阻害されます。その点で、「匿名でなんでも言える」というネットの社会は時に殺人(自殺に追い込む)や、深刻はイジメをもたらしていますが、それと類は同じでしょう。
ここでは「悪意による対立」と「イタズラの類」の2つの例を示しました。いずれも人間の心の中にある歪みが「事実を明らかにしよう」というのではなく、「自分を守ろう」とか「暇つぶしをしよう」という事を優先している例です。
大盗賊の石川五右衛門が言ったように「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」ですから、悪意の対立は私たちが人間である限り、無くなることはないでしょう。でも、「イタズラ」、「イジメ」の方は、現代社会の歪みと幼稚性ですから、止めた方がネットの発展にはなると思います。
(平成24年9月9日)