大飯原発が再開された後、北海道泊、九州玄海など現在、停止している原発が次々と再開されるでしょう。そして、どこでも同じ事が行われるはずです。

1)国が「電気がいるから安全である」というメッセージを出し、地元に多額の税金を投入することとなどを裏で工作する、
2)地元市町村長、知事が「苦渋の選択」をして再開を受け入れる、

昔はこのようなことをあまり良い言葉ではないですが、「田舎の猿芝居」と呼んだものです。なぜ、このようになるかというと、もともと原発は「危険だからへき地に作る。それを安全と言って良いと国民全部が認めてきた」ということだからです。

今までも原発は「危険だけれど地元と地方議員にお金が行くからやる」というのが基本でしたから、原発事故が起こってもこのことは変わりません。

もともと原発が安全だというのは「安全神話」であることも国民は承知の上ですから、神話が原発事故で覆らないからです。その証拠に主として保守の論陣(テレビ、新聞の論評、雑誌の記事など)は「原発が危険であるかどうか」の論議を避け、「日本は電気が必要だ。それに反対するのは非国民だ」という事故前の論理を展開しています。

だから、大飯原発再開は日本人のこれまでの「理」にかなっていて、その他の原発も同じ「理」によって再開されることになります。つまり「金がすべて。日本の将来も何も関係なし」というスタンスを少なくとも日本の保守層、指導層が持っているし、それを国民が支持しているのです。

地方の人は農林業、水産業、工業で日本に貢献しているのに、何もしていない東京にお金をピンハネされ、その東京の人がもともと自分たちが稼いだお金をもって来るとひれ伏しているのです。

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ただ一つだけ、事故によって変わったことがあります。それは「原発の地元は加害者になる」ということです。自分たちはお金が欲しいから「危険を安全」と言って「苦渋の選択」で原発を受け入れますが、事故が起こると受け入れた県は加害者になるということが現実として理解されたのです。

今後は原発を受け入れた県は事故が起こったら、その償いをしなければならないでしょう。もちろん、誰も助けようとはしない・・・それは自分たちの判断で危険なものをうけいれ、それでお隣さんに被害を与えたのですから。

最後に「核廃棄物を片付けずに原発の電気だけ欲しがるのか?」、「電力会社は巨大なリスクを背負ってまでなぜ原発をやりたいのか?」などの謎が残るでしょう。

 

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(平成24615日)