私がテレビで良く「男性は生きている価値がない」とか「50才以上の男性は意味が無い」と言うのですが、もちろん世の男性から批判を受けます。でも、私は私なりにある意味をもってメッセージを送っているつもりです。

もともと生物がオスとメスに分かれたのは、自分自身より優れた子孫を作り、自分の遺伝子の傷を残さないためですが、その後、メスが子どもを生むようになり、オスがエサを獲得したり外敵と戦うという役割分担ができます。

男女平等議論が起こってから男女の役割分担を言うのは禁止されるようになりましたが、女性が子どもを産むという役割分担を持っている以上、それを止めないで男女の役割分担論を批判するのは間違っています。

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オスとメスの関係も霊長類、つまりサルになると「一夫多妻制」に変わっていきます。ゴリラのように一夫一妻制のサルもいますが、一夫多妻制は発展した生物のもっとも合理的な夫婦関係なのです。

「メスが子どもを産む」という役割分担を固定した場合、「集団の数をできるだけ少なくして、子どもの数を最大にするシステム」を追求すると一夫多妻制になります。つまり、メスは子どもを2,3匹しか生めませんし、オスの精子は付近にいるオスのうち、もっとも知力体力が強いオスの精子が望ましいのですから、結局、1匹のオスが10匹程度のメスとの一夫多妻の生活がベストということになります。

これに対して10匹のオスと10匹のメスが一夫一妻制を取ると、約2倍の食料が必要で、子ども数は同じ、そして子どもの平均能力は一夫多妻制より低いということになります。

そうすると、1匹のオスと10匹のメスの集団と、10匹ずつの集団とでは勝ち負けがハッキリしますから、淘汰の原理で一夫多妻になるのです。

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ところがサルが地上に降りて2本足で歩くようになり人間が登場すると、また一夫一妻制が復活します。その理由には諸説ありますが、人間が地上に降りたので、エサをとるのが難しくなり、さらに外敵との厳しい戦いが始まったからと考えられます。

つまり「子育て」と「防衛と狩猟や農耕」を一人ですることができなくなったので、子育てを女、防衛と狩猟・農耕を男という役割分担をして子孫を増やすことに成功してきました。

人類全体ではそうですが、たとえば日本列島という地域を見ますと、四面を海に囲まれていますので、防衛はそれほど重要では無かった時代があり、その時代は卑弥呼から持統天皇まで、女性が国家を治めることが多かったのです.

でも奈良時代あたりから内戦が始まり、それは20世紀の第2次世界大戦まで続いたので、この間は男の時代になりました。でも戦争がなくなるとともに、狩猟や農耕などの力仕事もなくなり、男女の役割分担は大きく変わりつつあります.

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たとえば「女性の社会進出」は男性の時代の役割分担のうち、男性の領域に女性が進出しようとするものですし、「男性の育児分担」は女性の役割をやることが亡くなった男性が分担するというものです。

戦争と狩猟などがなくなって、人間がすることは「子どもを産む」ことと「子どもを育てること」の2つになりました。こんなことは人類始まって以来なので、いろいろな社会問題が起きています.

私が「50才以上の男性は意味が無い」とか「男性は生きる価値がない」と言っているのは、平和と家電製品、自動生産設備、コンピュータ(頭脳)が誕生した現在、男性は「何のために生きているのか」をもっと自問自答する必要があると考えているからです。

今のところ、シッカリした回答はありません。次回、私の考えを書きたいと思います.

 

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(平成2469日)