1961年、日本で年金制度が出来たとき、国民には「揺り籠から墓場まで」、「これからは家族ではなく社会が老人をみる時代」、「若いうちから自分で貯めて老後に備えよう。企業も協力して」と言った。
でも、同じ時、厚労省の高官が「どうせ、積み立て式年金はなくなってしまうのだから、そのうち賦課式(若い人が負担する)に変え、最後は税金だ」と考えていたことをこのブログで紹介しました。
事実は計画通り(??)進み、積み立て年金は社会保険庁(厚労省)がすべて使い込み、突如として「若い人が老人の面倒を見なければならないから、少子化対策だ」と言い始めました。
おそらくマスコミも専門家もこの言い換えを知っていると思いますが、知らない顔をして「少子化になると若い人何人で、老人何人」などという新しい説明をし始めました。
でも、「800兆円必要だ、それを準備するから積み立てろ、揺り籠から墓場まで面倒を見る」と言い、それが不可能なのは今から20年ほど前にわかっていたのに放置し、やけになって記録をつけなかったり改ざんしたのは厚労省です.
でも、厚労省も「我々の世代(今、50才以上)」であることは確かです.だから、我々の世代の誰が悪いかではなく、まずは我々の世代が悪いのですから、年金の受け取りを止めようではありませんか・
それでは生活が成り立たない人もおられるので、50才以上は50才以上でつじつまを合わせ、決して若い人に「年金を使い込んだ」と言うことの影響を与えないようにしたいと思います.賛成される人はおられないでしょうか?
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このままでは、私たちは「自分たちが使いこんだ年金を子ども達につける」ということになります。それが賦課型でも、消費税でも、社会保険と税の一体改革でも、みな同じ結果になります。
それでは私たちのプライドが許しませんし、偉そうなことも言えません.ここは一つ、老人パワーを炸裂させて、「50才以上は自分たちで年金を出し、使い込みは自分たちで責任を持つ」としないと、子ども達の時代には、
1)親の使った原発の電気の分の核廃棄物は引きうけ、
2)親が使い込んだ年金は子どもが払い、
3)電気もエネルギーも少なく力もない、
ということになってしまいます.
(平成24年6月9日)