バラの花は実に美しい。私が男性だからかも知れないが、特に深紅のバラが好きだ。なんでこんなに美しいものがこの世にあるのかと思うほどだが、科学者でもある私はすぐ疑問がわく。

もともとバラは人間に美しいとみられたくてあんなに美しくなったわけではない。昆虫が自分のところにやってきて蜜を吸い、その代わりに花粉を運んでくれるためだ。人間の手によって改良されたバラもあるけれど、野菊やタンポポのようにあまり人間の手で改良されていない花も美しい。

昆虫は昆虫の異性に魅力を感じるが、人間でゴキブリに魅力を感じる人は少ない。ハチのオスが魅力を感じるのはハチのメスとタンポポだから、人間が昆虫に魅力を感じないで花を美しいと思うのは実に奇妙である。

この謎を解決しようと、今まで「昆虫の目で見た世界」をコンピュータで示したものや、「バラはなぜ美しいか」を美学の専門家にお聞きしたりしたけれど、まったく解明できない。それなのに、人間はバラを美しいと思い、クレオパトラを美人という。

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男性は結婚相手に美人を選ぶ。でも美人というのは顔が美しいとか、プロポーションが良いとか、可愛らしいとかいうものだから、「人間としての女性」そのものではない。つまり単なる見かけである。その見かけも「バラが美しい」と思うような判断基準だからきわめて怪しい。

「幸福な結婚生活」と「バラが美しい」との関係を理論的に説明できる人はいないだろう。ということは、「男性は結婚相手を選んでいない」と言うことでもある。「選ぶ」というのは「自分に似合っている人」だが、まさか「美人が自分に似合っている人」などというはずもない。

つまり、男性は結婚相手を選んでいるわけではなく、単に「美人」という遺伝的判断基準を持っているに過ぎない。ただ、自分の遺伝子を残すチャンスが多いという生物学的な点で言えば、美人と結婚すれば美人の子どもが生まれる可能性が高く、その子どもも結婚のチャンスが多いから結局、美人を選ぶと言うことだけである。

つまり、男性は「結婚生活が幸福になるような、自分にふさわしい人」を結婚相手に選ぼうとしているのではなく、自分の遺伝子を残したいので美人を選ぶに過ぎない。だから、結婚生活の幸福という点では全く「相手を選択していない」と言うことになる。

女性が「お金持ち、力持ち」を選びたいというのと、男性が「美人を選びたい」というのはいずれも動物学的に遺伝子や優れた子孫を残そうと言うことで、結婚生活の相手を選んでいないと考えられる。そこに現代の婚活や結婚生活の問題点があるように思う。

現代の結婚には二つの意味がある、一つが子孫を残すこと、一つが知性的に幸福な結婚生活を送ることだが、まだ結婚に当たって、この二つを満足する指標(美人とか何とか)を探すことが出来ないので、離婚に至るケースが多い。つまり、現代人は精神的な満足を求めているのに、未だに動物学的は判断だけで結婚相手を選んでいることになる。

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ところで、子孫とは別に結婚生活に適した相手を見つける指標、それは第一に運命、第二に遠い人ではないかと思う。この世には運命というものがあり、人はそれに従って生きている。だから結婚のチャンスがあったと言うだけで相手とは何らかの運命のつながりがあり、それは一つの大きな条件になるだろう。

もう一つは、遠い人である。結婚生活は二人で新しい生活を作っていくのだが、それには「相手は違う人」という感覚があった方が成功する。あまりに近いと、相手の考えていることがわかり、それが自分と違うとうまくいかなくなるが、思い切って環境が違うと元々違う同志が一つの生活を作り上げていくのだから、うまくいく。

でも、どんなに近くても男性と女性、年齢も違うのだから、いずれにしても遠い人であるのは同じだ。遠い人でも近い人でも遠いと思って結婚生活をするのが良いのだろう。

 

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(平成24519日)