東海地震が明日にも来る!と言って社会の注目を浴びた東大地震研助手だった石橋先生は、原子力安全委員会検討分科会委員つとめ、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改正作業に携わった。

 

しかし、1)科学的な検証をしていない、2)多くの人の懸念が示されているのに考慮しない、ということを主たる理由に、委員を辞任したのは20068月のことだった。地震が頻発する日本で杜撰な地震指針を作るわけにはいかないと石橋先生は主張したが、それは通らなかった。

 

翌年、新地震指針は私が委員を務めていた基準部会に上がってきた。報告した東大名授は地震指針の成立にあたって強い異論があり、石橋先生が辞任したなどと言うことは一切触れず、通り一遍の説明をした。この部会で私は最初に発言し、「地震指針の目的は何なのかハッキリしない」と質問したところ、分科会でも学問的な審議を妨害した水間課長が約2分の質問に20分の訳のわからない回答をして時間つぶしをした。

 

分科会の議事録を見てもこの水間という官僚などが同じようにのらりくらりとした答弁をして実質的な議論を妨げていたが、これが委員長の方針だったのか、それとも周りをぐるっと官僚に縛られていたのか、それは不明だが、どんな状態にしろ委員や委員長になった限りは公の場所でハッキリと自らの意見を述べるべきである。

 

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分科会委員を辞任した石橋先生は1976年、東海地震が起こるという研究結果を日本地震学会では発表し、マスコミが大々的に取り上げたことで、膨大な国家予算をつかって東海地域の地震観測網が敷かれ、注目が東海だけに行き、その後の阪神淡路大震災と東北大震災の26000人に及ぶ犠牲者を生む原因を作った。

 

石橋先生自体は、建設省の研究所を経て神戸大学に移動しているが、石橋先生が地震学会で「東海地震がまもなく来る。それは来るべき時に来なかった空白期間があるから」と発表したのは問題が無い。学問の自由があり、私がこのブログで示す「専門家の柱」でも、知―学者―啓蒙家―社会、の列の中で学者に当たるからだ。

 

でも、この石橋発表に従って、当時の東大教授と官僚が「東海地震しか地震予知はできない」などとして「東海地域の地震予知網」を作った過程をよく考えてみなければならない。それは、同じく石橋先生が原発の耐震分科会で辞任に至ったように、「学問」と「政策」の区別が良くついていなかったことによると考えられる。

 

学問は現状を否定することから始まり、それが正しければ徐々に納得する人が増え、やがて社会の通念となるものだが、石橋先生の学説は1970年代から始まった日本の地震予知の研究結果の一つであり、それを政策にまでする時に問題があったと考えられる。

 

この問題はおろそかに出来ない。それはこの時の石橋発表を利用した東大教授と官僚のために、阪神地域と東北の観測がおろそかになり、それが26000名の犠牲につながったからである。石橋発表があってから36年後にあたる20124月、ゲラー東大(地震)教授が「地震予知はできないと政府は宣言するべきだ」という論文をだしている。

 

ゲラー教授の論旨は次の通りである。
1) 予知の根拠とされる地震の前兆現象については学問的に測定技術では見つかっていない、2) 国内で1979年以降10人以上の死者が出た地震は、予知で起こる確率が低いとされていた地域で発生した、
3) マグニチュード8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は方法論に欠陥がある、
4) 地震研究は官僚主導ではなく、科学的根拠に基づいて研究者主導で進められるべきだ、

 

5) 政策の根拠法令となっている大規模地震対策特別措置法の廃止。

 

つまり、1976年当時、地震学の進歩のレベルから言って、地震予知が「できないこと」はほぼわかっていた。でも、国の予算を使い、膨大な研究費を東大に出すためには「地震予知ができる」という宣伝を行う必要があり、メディアはそれに追従した。それが26000人もの犠牲者をだしたことを私たちは厳格に考えるべきでしょう。

 

ところで石橋先生は静岡のマスコミで、一種の懺悔をさせられていますが、このような社会的な動きも慎重でなければなりません。石橋先生が学問的見地から「東海地震が近い」という発表をされることについて、それが的中しなかったからといって社会的な批判を受ける必要はありません。学問は道のものを探求していくのですから、社会の責任追及は及ばないのです。

 

でも、もし石橋先生が学問の領域を超えて政策として東海地震対策をするように働きかけたり、積極的に国民に呼びかけたりしたら、それは学者ではなく、啓蒙家としての動きですから社会との関係が発生し、責任も取らなければなりません。

 

原発事故以来の、「大丈夫医師、大丈夫専門家」の問題点は、社会に直接、語りかけていることで、そうなると「大丈夫」と言ったことに対して、被曝による患者さんが出たら個人の責任で補償する必要を生じます。

 

東海地震、石橋先生、そして石橋先生が原発の耐震指針に反対されて委員会を退席されたことなど、一連の事件は科学と政策という未来的な課題に大きな教訓と研究の余地を残すものでしょう。

 

 

 

(平成2456日)

 

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