会社の技術者だった時、「会議の前に根回しをしろ」と何回も叱られましたが、大学に移るまで、その意味を理解することはできませんでした。せっかく、出張費と時間を使って多くの人が一つの会議に集まるのですから、そこで情報や意見を交換して決定するのが一番、良いのですが、それは「事実を元にして意見を出す」ならよいのです。

 

でも日本の会議は「空気を読む」ことによって「空気的事実をもとに判断する」のですから、会議の前にあらかじめ空気を知っておきたいということです。

 

それは会議が終わった後でも同じで、会議の後の飲み方になると「ああ言えば良かった」というような発言がどんどん出るのです。会議で下手に反論をすると「空気を読まない」と批判されるのを恐れて、会議で発言せず、飲み方で本音を言うのです。

 

国の会議に出るようになってから、会議の途中や終わったときに、横にいた新聞社の論説委員が「武田先生、実は・・・なんです」と重要情報を教えてくれます。そんな重要なことなら会議で言うか、新聞に書けば良いのに、その新聞の論説委員の地位は、「大事なことを新聞に書かない」、「肝心なことは会議で言わない」ということで保っているのです。

 

つまり、形式的には民主的であり、会議が開かれるのですが、そこでは肝心なこと、事実は話されず、みんなが腹の中にためておくのです。東大教授が私にトイレで「武田先生、温暖化しないことなんか、みんな知っているんですよ。それでうまくいくのだからいいじゃないですか」と言ったことに象徴されます。

 

情報を独占し、それで個人の利益を計る、それが国の偉い人の共通した行動様式にまで発展していると言えるでしょう。

 

おそらく福島原発の後も、「法律では11ミリなんですけれどね」と国の委員会の裏では発言があったでしょう。「低レベル廃棄物は1キロ100ベクレルぐらいですから、瓦礫を1キロ8000ベクレルではどうですか?」とか、「いや、どうせ地方の議員は金が欲しいから、「助け合い」などと言いますよ。大丈夫です」などというのがひそひそ話として飛び交ったはずです。

 

そうかといってネットなどで自由な議論ができるようになると、激しい個人攻撃、バッシング、口汚い罵りあいが起こるのですから本当に困ったものです。それもかなりの地位の人(たとえば大学教授など)も匿名で裏から批判してくるのですから、格調高い社会とはとても言えません。

 

こんなことを全部無くして、表裏ない、明るく、楽しい社会にしたいものですね。戦後、オートバイの製造で活躍した本田宗一郎さんは「人生、どうせ死ぬのだ。やりたいことをしよう」という趣旨のことを言っておられました。厳しいビジネスを進めてきた人ですが、笑い顔は屈託無く、今の実業界ではなかなか見かけない顔でもありました。

 

私たちも明るい日本を取り戻すために、額に汗して働くだけで満足し、補助金やエコポイントなどに見向きもしない礼節信義を守り、誠実な姿を子どもに見せたいものです。

 

 

 

(平成2453日)

 

「kaigitdyno.70-(7:09).mp3」をダウンロード