子供が「自分で決めたことぐらいは自分で守れる人になりたい」と言ったら、大人はどう答えるだろうか。「おりこうね」とか「それは当然だよ」ということはあっても「そんな必要はない」と叱る大人はいないだろう。

大学生が「多様な時代だから人の考えを尊重したい」と言えば、先輩は「それは良い考え方だ」と言うことはあっても、「自分の考えを押しつけるのが良い」と公に言う人もいない。

でも、今の日本はこの二つの当然なことが守られず、正反対のことが平然と行われている。そしてこともあろうか、「当然のことを言う人」(たとえば瓦礫の搬出は法律に違反する)が「自分で決めたことを守らない人」に罵倒されるというありさまだ。

また、ネットなどでは「多様な意見」を尊重するどころか、少しでも自分の考えと違えば口を極めて罵倒に罵倒を重ね、時によってはそれが仕事かと思うほどの時間と労力を使い、社会から葬ってしまおうという人も多い。ネットは私たちにとって大切な新しいものであるが、それを活かすも殺すも私たちが「人の考え」を尊重するかどうかにかかっている。
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私はかつて製造会社にいた。日本の製造会社が世界に冠たるものになったのは技術もともかくながら、それより「従業員の善良さ」だった。工場の従業員は「お金で雇われた労働者」であって、商法上は「社員」でもないと言われる。なにか「人」ではなく、「時間を買われた物体」のように言われる。もちろん5時とか、定まった時間が来なければ帰ることもできない。

それでいて、頻繁に「愛社精神」が求められたり、時には改善の努力が足りないと叱られる。時間を買うなら、愛社とか改善の努力などは不要なはずである。もしそのようなものが大切なら、緩やかな時間の拘束は必要でも、5分でも遅れれば給与を引かれるなどとはまったく矛盾するように思われる。

ところがそのような「劣悪」な環境にありながら、工場の従業員のほとんどは会社がより多い利益を上げるため、順調に生産できるため、時には他人の仕事を手伝ってまで会社に貢献しようとする。

まるで東電が事故を起こして謝りもせず、除染(自分で汚したものを片付ける)もしないのに、じっと我慢をしている人と似ている。それは日本人にすばらしい特徴だ。東電が日本人とは思えぬほど恩知らずなのに、それに影響されず、シッカリした誠実さを持っているのだ。
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私はこのような古来から日本人が持っている誠実さ、潔さ、礼儀正しさを貴重で大切なことと思っている。そしてそれが自分の公約を自分で破る民主党政権や、礼儀という言葉がまったく信じられないネットの社会が続いても、日本人は失わないと思う。

でも、それでもあまり長く続くと少しずつ破壊してくるのではないかと心配でもある。まずは指導者から潔さを示して欲しい。鳩山元首相はお母さんから月々もらっていた1600万円が贈与税とは関係ないこと、何に使ったかを明らかにして欲しい。民主党の議員は公約の主要部分を放棄したのだから、議員を辞めて欲しい。東大教授は東北大震災、福島原発事故で間違ったことをいっったのだから辞職して欲しい。

横浜市長は「放射線など怖くない。11ミリを守る必要がない」(11ミリは法律だから公務員は自分で決めたことを自分で守るという範囲に入る)というパンフレットをわざわざ印刷して市民に配り、その後、給食で汚染された食材を子供に食べさせたし、そのパンフレット作りに協力した日本学術会議の役員もともに辞めて社会から引退した方が良い。

環境省も、低レベル廃棄物が1キロ100ベクレル以上なのに、1キロ8000ベクレルの瓦礫を引き取れというのだから、環境省は業務を中止してもらいたい。もともと環境省は温暖化騒動の時にIPCC(国連の温暖化機構)が「温暖化すると南極の氷が増える」と報告しているのを、日本語に訳すときに「減る」と訳した張本人だ。かなり悪質である。

まずは指導層から子供が普通に言うことを実践し、それを手始めに、ネットの罵詈雑言も少し弱めた方が良いと思う。人はそれぞれ違う考えを持っている。でもその「考え」とは「自分が言ったことを言わないといったり」、「事実についてウソを言ったり」することではない。常に自分の名前を名乗り、もし必要ならその考えに至った根拠を示し、できるだけ個人の誹謗中傷を避けるということが前提だ。

「自分が考えること」が尊重されるためには、考えを持つ過程でも、誠実、潔さ、そして礼儀が必要だからである。

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(平成24419日)