現在の制度のように、20歳から国民が年金を納め、国や企業がその一部を負担し(結局、これも国民)、65歳から受け取るという制度では、二つの大きな「だまし」とも言うべき欠陥があります。
第一に、この45年間に一回でもインフレが来たら、それまで貯めてきた年金が無に帰するということです。現実に、これまで40年間、積み立ててきた年金がどうなったかを10年ほど前に計算した例を示します。
この例では1965年の時に20歳だった人が2005年に60歳まで年金積み立ての指示に従って積み立てた場合、合計で303万円の原資(積立総額)になることを示しています。20歳から30歳までの積立額が4万円。次の30歳代の10年で43万円・・・となっています。
そして50歳になったときの総積立額が約150万円で、最終的にその2倍の約300万円になっています。なぜ、40年間も積み立てているのに、最後の10年で半分(150万円)を積み立てるようになってしまったか?それは「じわじわ進むインフレ」が原因しています。
戦後の日本では、戦後すぐに大きなインフレがあり、さらに高度成長の時にインフレに見舞われましたが、そのほかでも「景気の良いとき」はインフレになっていました。デフレ傾向になったのは1995年から後で、そのときには景気が悪く金利も小さく、今度は「運用益」がマイナスになったりしています。
人の一生は一度しかありません。その間に、インフレが一度来るとそれまでため続けてきた苦労は水の泡になります。それも貧乏な20歳代、結婚して少しでもお金が必要な30歳代に積み立てた分は「無いも等しい」と言うことになるのです。
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ところでここに大きなトリックがあります。1960年代にやっとの思いで10万円ぐらいの年金を積み立てた人は大変な思いをしました。私が1966年に会社に入ったのですが、そのときの初任給はおおよそ2万円ほどでした。だから10年で10万円といっても1ヶ月1千円ですからかなりの金額です。
ところがこれでも困らない人がいます。それは「社保庁のお役人」でした。社保庁のお役人は「他人が40年後にもらうお金」を「その年ごとに給料として受け取る」ということができます。つまり40年前にみんなの給料が2万円の時に、「先に40年後の年金をもらってしまう」ということです。
お金の価値は時代とともに変わるので、その年、その年で受け取った方が得になります。それを社保庁のお役人が取ったのです。これが第一のトリックでした。
当時、まだ日本経済は成長していましたので、運用益5.5%だから年金は時代とともに増やすことができると言っていましたが、これにもトリックがあります。確かに単純な物価上昇は1年あたり4.3%でしたから、5.5%の運用益なら、そこから社保庁のお役人の給料などを差し引いても物価上昇分だけは確保できそうです。
でも、そうではないのです。たとえば40年前はテレビが珍しく、それも白黒でした。自動車も1000CCぐらいが普通で、とうてい2000ccの車など買えませんでした。つまり「生活は向上する」という比率が1年に3.2%だけあるので、これを合計すると、7.6% の利回りがないと「目減り」していくのです。
さらに、人間は若い頃は寒いのも我慢できますし、脚も丈夫なので坂も歩けます。だから年をとっても若い頃と同じというとかなり辛い人生になります。そこで、「歳なりに同じような生活」ということを考えると、それが1年に2.3%になります。つまり「人間は歳を取る」ということを考えるとそうなるのです。
これらをすべて考えると.9.9%になる。単純な計算をすると、40年間9.9%と、40年間5.5%を比較すると、1.099の40乗と、1.055の40乗の比率だから、0.20、つまり年金は40年間で5分の1になってしまうということを示している。
社保庁のお役人はこの物価上昇、社会環境の変化、自分の年齢変化の3つの被害を受けずに、その年、その年で精算して給料をもらっているのに、年金を拠出した人は5分の1に減った年金を受け取るということになるのだ。
これが私が「その年型」しか解決策がなく、かつ誰がお金を出しているのかが見えるので、日本文化を踏襲する意味でも唯一の年金解決策と考える理由である。
(平成24年4月10日)
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