北朝鮮が人工衛星を打ち上げるためにミサイルを発射する。テレビではそれに備えて東京の市ヶ谷を始めとした自衛隊のパック3邀撃ミサイルの配備を報じていた。そして誰もが「北朝鮮はけしからん。でも万が一のことを考えてしっかり防衛して欲しい」という論調だった。

この重要なときに防衛大臣は姿が見えない。大臣に就任して以来、国会での答弁などを見た多くの人がびっくりしてしまった。こんな人が国会議員?!こんな人が大臣?!こんな人が有事の時には直ちに判断を求められる防衛大臣?!と思っただろう。

・・・・・・・・・いろいろなことが頭を巡る・・・・・・・・・

 今から15年ほど前のことだったが、機械学会で学会発表の範囲に関する「倫理委員会」があった。その頃、私は機械学会に所属していて倫理委員の一人だった。社会は「倫理」に目覚め、企業ではCSRなどという言葉が聞かれるようになった時代だ。私は科学や工学の倫理を研究していたので、倫理委員になっていた。

話題は福岡で数年前に行われた機械学会で自衛隊で機会学会員の研究者が機関銃の部品についての発表の申し込みをして、発表を断られたと言うことについて、機械学会の倫理規定に「機械学会での発表は平和目的に限定する」という項目を入れるかどうかの審議だった。

座長は東大の教授、そこにいる10名ほどの委員のほとんど全部が「平和目的に限る」という条項を入れることに賛成だった。私は一人反対で「もし北朝鮮が先週はミサイルを仙台に撃ち込んで2000人が死に、今週は宇都宮が標的になって200人が亡くなり、来週は東京に落下させると発表しても、防衛も攻撃もしませんか? 平和の時の平和主義では意味がありません。また武器はアメリカから買えば良いというのは倫理的には日本で作るのと同じだ。私は「軍」というのは「平和」のために存在するのだから、機関銃が軍事目的というのは平和目的と同じだ」と論陣を張った。

場の雰囲気は逆転し、機械学会では倫理規定に軍事研究の禁止を入れなかった。今はどうなっているかわからない。でもその頃(平和だった頃)日本社会には「軍隊は要らない」という人が多く、特に知識人と言われる人は「再軍備反対、軍隊反対」であった。

でも、今朝のニュースを見ていると、また無責任な話だと15年前のことを思い出したものである。日本社会が平和といている間はミサイルの研究を禁止しようとし、北朝鮮がミサイルを飛ばそうとするとパック3を配備することを喜ぶ。アメリカが迎撃ミサイルを供与してくれなかったら、日本が自分で作るだろう。

社会に向かって自分の意見を言ったり、委員会で指導的な立場に立つと言うことはその人に見識があり、一定の考え方に基づいて、しっかりとその論拠を述べられなければならない。機械学会の倫理委員会の委員だから社会的には立派な人だけだったが、それでも「社会の空気の通りにやれば無難だ。事情が変われば変わったで変身すれば良い」と言うのでは情けない。
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もう一つは防衛大臣のことである。彼は新人議員ではない。国会議員になってかなりの年限を経ている。彼は選挙で選ばれてきていて、選挙民は日本国民である。また選挙民はその議員が大臣になってはいけない人だとは考えていない。つまり、彼が大臣としてふさわしくないというのを選挙民に聞かなければわからないと私は思う。

選挙民は数10年のつきあい、よく彼を知っていて、国会議員に選出している。それがわずか数週間の国会の答弁で「大臣の資格がない」と言うことはいくら何でも選挙を馬鹿にしている。議員は選挙民の代表であって、議員が議員だけで独立しているのではない。

防衛大臣がこの重要なときに姿を見せないことについて、現在の報道レベルのことでかたづけず、選挙民は積極的に前に出て、防衛大臣が立派な人であることを強調すべきだ。そうでなければ選挙自体、民主主義自体が損なわれ、都知事の「黙れっ!」や、宮城県知事の「宮城の人は数字がわからない」などと選挙民より知事が偉いという封建時代に戻ってしまう。

国会論戦の場では防衛大臣は、失礼だが猿回しの猿のような感じがした。でもこれは良いことではない。防衛大臣の愚かさを国民がテレビを見て笑っている状態は、その時点で即座に任命した首相が退陣しなければならないほど、民主主義の危機である。
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もう一つは憲法改正である。パック3の配備を歓迎するなら憲法を改正しなければならない。かなり前に社会党が「自衛隊違憲合法論」などと言うムチャクチャな論を立て、日本が憲法や法律を守らずに野蛮な国家に戻ることに力を貸した。現在の司法の堕落にはこのような公党の無責任な態度も問題になっているが、ここは日本国民が「パック3を配備しなければならないのだから、日本には軍隊がいる」と明確に決心しなければならない。

さらに「アメリカはミサイルも原爆ももって良い。アメリカは平和を愛する国だから他国に戦争を仕掛けたりはしない。でも北朝鮮は危険な国だから、だめだ」という論理をそのまま日本が自分の考えのように言うのは問題だ。日本という国は元々他国を侵略する意図が少ない国で、明治維新からしばらくの間、欧米との対抗もあって他国に出たことがあるが、元々の思想はそうではない。それもこの際はっきり

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させたい。

(平成2449日)