生まれてこの年になるまで、私は「財布」というものを持ったこともなく、貯金通帳のある場所も知らない人生を送ってきました。小さいときには母に、結婚して妻に、そしておそらく呆けてきたら娘にお小遣いをもらうようになると思います。

 

世界広しといえども、日本の夫婦関係、男女関係は特別です。もともと、神代の時代(イザナギ・イザナミ)から「生活は女性、外は男性」という役割分担はあったけれど、「どちらが上」などという感覚自体がありませんでした。この点では「女は男のあばら骨からできたから、女性は男性の所有物」と考えるヨーロッパとはかなり日本は違います。

 

それは天照大神(あまてらすおおおかみ、女性で神々の神)、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ、日本最初の国の王(女性))、東征で活躍した丹生都姫、そして持統天皇などの多くの女性の天皇陛下など、日本はやや女性上位の歴史をたどったが、もともと「女性上位」とか下位という認識そのものが日本の男女関係を正しくとらえていません。

 

日本はもともと男女は平等でしたから、「男女平等」という用語自体がやや意味がないのです。卑弥呼の時代が終わり人口密度が高くなってきた奈良時代から戦争が続きましたので、戦争に適した男性が力をつけました。しかし、戦国時代、大将である夫が戦死すると、妻がそれに殉じる(一緒に死ぬ)ことがあり、このことが女性の地位が低かったと誤解されていますが、死に臨んで妻が残した手紙、遺言などを読むと、妻と夫は一体であるからこそ殉じるのであり、死ぬときの彼女の気持ちは夫と上下関係の意識がないからこそ殉じたのです。その意味では夫と妻という関係でありながら、一方では母親と息子の感覚もあったようです。

 

第二次世界大戦後、日本では女性の権利が高まり、「男女の役割分担」の排斥、「男女共同参画」へと進みました。でも、ヨーロッパの共同参画とは「男女が同じことをする」ということですが、日本の男女共同参画は「男女の特性を生かしてともに社会を築く」のが日本の男女にはあっているような気もします。

 

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その典型的な例が日本の「夫が稼ぎ、妻がお金を管理する」という風習です。私ばかりではなく、10年ほど前の京都府の調査では、実に90%の夫婦が「夫の収入を妻が管理する」という日本型だったのです。この中で妻がアルバイトやフルタイムで働いている場合、「夫の収入も妻のも妻が管理」というのがほとんどでした。

 

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古い図でタイトルなどが書けていますが、棒グラフの赤とピンクの合計が「日常的な家計は妻」という家庭です。妻が働いていない場合は95%が妻、妻がアルバイトをしている時も90%が妻、それより驚くのは共働きでも、夫が妻に給料を渡すのが約80%の家庭だということです。

 

最近では妻の給料が夫を上回る例も珍しくありませんが、妻が働いていても、二人の収入はあくまで「家庭を維持するため、子供のため」であり、けっして「2人の独立した社会人が単に一緒に住んでいる」という夫婦関係ではないのです

 

私も私の給料は妻が精通していますが、私は妻の給料を聞いたこともなく、何に使っているのかもまったく関心がありません。ぼんやりとは「私の給料は生活費に、妻のお金は洋服や食事などの楽しみに使っているのだろう」ぐらいしか考えたこともありません。

 

これに対してヨーロッパ型の夫婦は、夫が妻に生活費を渡すということで、結婚しても一心同体の夫婦にはならず、単に2人が共同生活をしているというだけの場合もあるようです。そうすると時に夫が上で妻が夫に媚びてお金をもらうという関係も見られます。もちろん、一心同体の夫婦もおられますが、かなり日本とは割合が違うようです。

 

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夫婦間の問題、男女の関係は男から見た場合と、女性がみるのと大きく異なることも特徴的です。次の文章は江戸の漁村の日常を描いたものですが、私から見るとほほえましく、ある女性から見ると「役割分担を固定する古い日本の悪い家庭」と見えるようです。

 

「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。

 

婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」(イライザ・シッドモア。(1884)

 

新しい時代になってまだ男女の「正しいつきあい方」が練れてないように思います。男女は「いがみ合って喧嘩しながらの毎日」ではなく、「お互いによく理解して笑いの絶えない日常」の方が良いに決まっています。そのためには「何のために男女がいるのか?」ということを根本から考え、日本文化との調和の上で新しく、楽しい生活を作っていくことでしょう。

 

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(平成2444()