1990年に日本では突如、「環境学」というのが現れ、「ゴミが増えてゴミだらけになる」とか「ダイオキシンは人間が作り出した猛毒だ」というような話になり、最近では「CO2で地球が温暖化して大変だ」というようなこと(すべて間違い)を言い続けました。
学問ができたばかりですから少し間違うのはよいとしても、あまりに幼稚なレベルが続いています。もう20年も過ぎましたので、「小学生でもおかしいと思う」ということが多い環境学を少し修正しておかなければならなりません。
また、「環境とはこういうものだ」という間違った空気を作り出し、それが「空気が事実だ」と変わり、「正しい環境学の人」を誹謗中傷するまでになったのです。でもこれは修正しておかなければなりません。
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簡単なことから始めますが、日本では「花粉症」、「紙のリサイクル」、「割り箸忌避運動」、それに「森林がCO2を吸収する」というような森林に関する基本的な機能に全く反する「幼稚な環境認識」が蔓延しています。
「自然界の中の森林の役割」、「人間との関係における森林の役割」から森林の環境問題を考えなければなりません。自然には海、平野、森林などがありますが、それらは地質学的な成因に応じてできていて、それぞれが全体として調和しています。これらは人間が決定したり左右したりすることはできず、自然をそのまま受け入れるという性質のものです。
一方、人間と自然、その中でも人間と森の関係はこれまでの歴史的な経験でかなりのことがわかっています。標準的に言えば、森は天然林と人工林の比率を半分半分ぐらいにして、ドングリなどの実がなりやすい天然林を山の奥の方に、定期的に切り出して運搬する必要のある人工林を人里の方にと配置するのがよいとされています。
このことでわかるように、人間と森林の関係では、人間が森林の半分を利用することが望ましいと言うことです。そしてその指標として「森林利用率」というのがあります。この指標はかつて「森林保護派」と言われる人たちによって間違った使い方をされました。
森林保護派の人は森林のことはよく知っていましたので、おそらくは「森林を守るために嘘をついてよい」と思ったのでしょう、「森林利用率が90%などけしからん!森林が破壊されてしまう」と言ったのですが、実は森林利用率は「今年、新しく伸びた樹木量」が分母で、「人間が切り出した樹木量」が分子ですから、100%の時にちょうど森林はよい状態になるということです。
森林を大切にしているスウェーデンなどの北欧の国の森林利用率が90%であることからもわかります。でも、日本では「森林保護派」と言われた人たちは、今の環境省のように名前だけで実際には森林を保護する気持ちはなく、それを通じた利権を狙っていました。
かくして、戦後、植林した日本の森林の利用率は40%まで減りました。40%というと60%が伸びたまま放置されたと言うことを意味していますので、日本の森林はひどいことになったのです。何しろその年に伸びた樹木がそのまま放置されたのですから、自分の家の庭を想像してみればわかりますが、森林がひどいことになったのです。
もう一つの原因は、戦後のうちの方はある程度改革しましたが、林野庁がサボって森林の改革をしませんでした。そのため小さい地主がいたり、山の奥の方に植林したりしたので、有効な利用ができなかったのです。
ここでも日本の官僚の能力不足で、日本の森林が利用できなくなったという事情が見られます。仮に戦後に森林の改革をして山の奥の方は天然林、人里に近く伐採、運搬に便利なところに杉を植えていれば、1950年に植林した樹木は1980年ぐらいになって利用できたのです。
樹木の利用は太陽エネルギーの最も優れた利用方法ですから、現在の太陽光発電などより効率もよく、「再生可能エネルギー」を支持している人はまず杉を伐採することから始めなければならないのです。
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森林の利用と言ってもほとんどが樹木ですが、樹木は単位面積あたり150立方メートル伐採しても、そのうち30立方メートル、つまり5分の1しか材木としては利用できません。それは間引き、枝打ち、伐採のための道路、断面積が円形であるので四角い材木との関係で「みみ」がでることなどが主な理由です。
伐採した樹木のうち5分の4が無駄になるのですから、これをどのように利用するのかがポイントとなります。それが「割り箸」、「ベニア」などだったのですが、ここでも森林保護派が割り箸の忌避運動を展開して森林を破壊してしまいました。
つまり、森林保護というのは半分を自然林にして、そこが野生動物と人の緩衝地帯になり、計画的な地形と植林で災害を防ぐなどの意味を持っています。しかしそれが成立するには、1)林野庁が計画的な森林の改革をすること、2)5分の4出る「劣位の資源」を有効に利用すること、にかかっているのです。
世界の3大森林国である日本が森林を放置しているのは「人災」であることがわかります。この人災は林野庁、環境省、そして森林保護派の共同人災で、その結果、1980年代に伐採して利用するべき杉が利用できず、杉の花粉による花粉症が蔓延した原因を作りました。
その意味では日本人の健康を損ねたという点で、林野庁はサボりによる傷害の原因を作り、環境省、森林保護派は積極的に花粉症を作り出したという点で罪深いのです。紙のリサイクルも、森林がCO2を吸収するという非科学的なことも、すべては森林を愛し、大切にすることよりお金、利権、名誉などを追求した結果でした。日本は人災だらけですね。
今からでも改善はできるので、森林の利権者の話し合い、杉の伐採などにこそ太陽電池の補助金の予算を回して、日本の自然を守り、自然からに恵みを大切にしたいと思います。
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(平成24年4月1日)