かつて、「共産主義」という「理想的社会体制」というものが提案された時、世界の多くの人が飛びつきました。19世紀の末からその情熱は世界を駆け抜け、日本でも戦後、東大教授を中心として「文化人」の多くが共産主義を支持したのも特徴的です。

 

今回の原発事故や大震災では、東大教授のレベルの低さと御用学者ぶりが目立ちましたが、当時、共産主義を支持した多くの東大教授と同じ、頭脳のレベルがあまり高くなく、人格が成熟していないという特徴がよく出ています。このような東大教授の特徴は少しずつ明らかにしていきたいと思います。

 

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さて、共産主義とは、その根本に「みんなで心を一つにして一所懸命働く」、「働いて得た富は平等に分配する」、「お互いに同志と呼んで差別をしない」、「国家の計画は統一して共産党が作るので効率的だ」を想定していますから、確かに理想的であることは間違いありません。

 

今から約230年ほど前にフランス革命が起こり、「お殿様」の時代から「民主主義」の時代へと大きく変化しました。お殿様の時代はそれなりに社会秩序が保たれていたのですが、「誰でも指導者になることができる」ということになりますと、へんてこなことが次々と起こります。フランス革命当時は「ギロチン」という首切り道具が人気になり、なにかあるとすぐ「あいつはギロチン行きだ!」と断頭台で首をはねることが続きました。

 

さらに、身分制も何もなく自由に活動するのですから、お金のある人(資本家)はズルをしてどんどん儲け(搾取)、お金のない人(労働者:プロレタリアート(労働者階級))は働くだけ働かせられて、メリットなしというような社会になったのです。

 

後に共産主義の指導的立場になるエンゲルスは、民主主義が誕生して70年ばかり経った時代のロンドンを次のように描写しています。

 

「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした消化の悪い食料が与えられる。

 

貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される。」

 

エンゲルスがイギリスの社会をこのように描写したとほぼ同じ頃、日本は江戸幕府が鎖国政策をやめたので、多くの外国人が日本にやってきた時期でした。エンゲルスと同じイギリスから大使としてきたオールコックは日本の社会を次のように書いています。

 

「封建領主の支配と全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については当然のことのように思っていた。だが、(日本の)これらの良く耕作された土地、豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな日本人を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏している土地とはまったく信じられない。

 

むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得なかった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」

 

この二つの描写からすべてがわかるわけではありませんが、19世紀のヨーロッパで共産主義が誕生したのは、1)ヨーロッパ人というどう猛な民族、2)封建主義から民主主義へ変わった経験不足、3)人間の頭脳は完璧だと考えたヨーロッパの信仰、の3つだったように思います。

 

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それはともかく、初期の民主主義、資本主義があまりに未完成だったこともあり、またその考えは未熟な世界ほど共感を得たという性質もあり、当時、ヨーロッパ社会と比較すると格段に野蛮で、未発達なロシアで世界で初めての共産主義国家ができ、それがソ連邦でした。

 

つまり初期の民主主義(資本主義でもあった)の矛盾がもっとも大きかったイギリスは共産主義にはならず、フランスもドイツもそのままだったのに、まだ資本主義の矛盾などなかったロシアが共産主義になったのですから、もともと、「共産主義が必要な理由」のないところにできたとともいえるのです。

 

さらに、ソ連はそれまで当たり前だった「国」、「宗教」なども否定しましたので、コミンテルン(ロシア語)を作って各国の共産党はその国より国際組織であるコミンテルンに忠誠を尽くしました。幼児性を持つ日本の知識人や東大教授もまたコミンテルンを支持したのです。

 

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でも、共産主義理論には大きな欠陥がありました。それは「人間が人間ではない」という仮定があったからです。人間という生物は、数ある生物のうち最初に「頭脳が本能を制御することができる生物」という特徴があります。

 

DNA情報量を1010乗ビットとしますと、哺乳動物はその10倍程度の頭脳情報を持っていますが、そのぐらいでは強力な遺伝情報を押さえることはできません。しかし、人間は100倍ちかくの脳情報を持っているので、かろうじて本能を押さえることができます。

 

しかし、それは本能を押さえることができると言うだけで、本能がなくなったわけではありません。「自分より弱い相手をやっつけて、自分はよい思いをしたい」というのは生物の根本原理であり、私たちの体の中のDNAはまさにそれを基本として発達し、複雑になってきたのです。つまり、人間の存在自体、他の動物を圧迫し、まずは「自分たちだけ」が快適な人生を送ることができるようにし、さらに人間の間で競争して強いものが勝つようにしているのです。

 

このことは私のような科学者の目で見れば、あまりに当たり前のことですが、社会学、政治学、哲学などを専門とする人たちは「本能が発揮されない人間」がいると思ったようです。

 

そういう人間を考えると、先に書いた「共産主義の基本的考え方」、つまり「みんなで心を一つにして一所懸命働く」、「働いて得た富は平等に分配する」というのがいかに「非人間的」であるかがわかります。

 

「サボれればサボる」、「富は自分が少しでも多く取る」などということが起こるはずもないのです。少し長くなりましたので、次回に続きを書きますが(列車が上野に着くので)、慧眼な読者はAIJ問題がなぜ起きたのか、その半分ぐらいの理由が共産主義の失敗と同じ理由・・・つまり、人間がDNAで動く生物であることを無視した結果であることを推定していただいているかも知れません。

 

 

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(平成2441日)