北海道のある町で10年前、風車を作ることになった。その頃、「自然エネルギーは再生可能だ」という話がもてはやされ、テレビや新聞は「風車が良い、太陽光発電は無限だ」と言った。

 

やがてその話は北海道の町にも届き、国から1億円、地元で1億円を出して風車を作った。2億円は簡単に言えば「国民の税金」である。そして毎年、およそ600万円の経費がかかり、600万円の収入があった。つまり、2億円を投資してまったく回収できずに、2億円の税金は赤字のまま、運転をつづけていたのである。

 

そして10年、風車は壊れ、さらに4000万円の出費が必要なことになった時点で、町はこの事業を中止し、風車が立っていたことを示すモニュメントが残る。

 

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細かいことはあるけれど、簡単に言うと、エネルギー消費というのはおおよそ「値段」に比例する。多くのエネルギーを使うものは高い値段になるし、エネルギーをほとんど使わずにできるものは安い。そこに使う材料も、もともと地下に眠っていた石油や鉄鉱石は「ゼロ円」であり、それにどのぐらいのエネルギーをかけるかによって値段が決まるから、結局、ザッと言えば、「経費=エネルギー」として良い。

 

まず、風車はエネルギーの節約になったのか?

 

建設費2億円+維持費0.6億円=2.6億円 に対して、生産されたエネルギー0.6億円 だから、差引2億円分のエネルギーと税金がムダになった。町はまだつぶれていないが、民間ならつぶれているだろう。つまり、補助金を出した政府も町も責任を取らないので、その責任は2億円を分担した国民が取ったことになる。

 

では得をした人は誰か? まず風車を設計し販売した会社や団体(マスコミに風車が良いと宣伝し、役所に政策にするために働きかけた人たち)、それに自然エネルーが優れているという記事を書いて販売量を増やした新聞、「自然エネルギー管理団体」のような天下り団体に行ったお役人などである。東大の先生は何回か環境省と経産省の依頼を受けてデンマークの風車の「視察」に行き、そこでワインを飲んで帰ってきた。

 

国の事業はその94%が赤字である。つまり国民が事業の失敗の責任を取らされている。税金が増えること、それは「外交、軍事、国土整備など」の特殊な分野を除けば、単に民間の事業を圧迫し、創造性は無いが役所にゴマをすることに優れている人と役人の生活を豊かにするにすぎない。

 

それでも、それが将来の日本を作っていくなら別だが、民間の活力をそぎ、不当な利益を追求する日本を作るだけである。

 

なぜ、消費税を上げなければならないのか? なぜiPhone(創造的な新事業)が日本では生まれないのか? そのことについて、すでに野党が全滅し、オール与党、大政翼賛になった現在、日本の専門家やメディアは「納税者のために」深く切り込み、それによって子供たちの未来を豊かなものにしていかなければならないだろう。

 

お金は決して人生に幸福をもたらさない。頭の良い人は他人をダマして税金を取り上げることは容易である。でも、誰か、魂を持ち、自分のお金のためではなく、日本人として日本の将来のためにだけ生きる人は現れないのだろうか? その人は幸福感をもって人生を終わることができるのに・・・

 

(平成24115()