科学は2つの面を持っています。一つが、これまでの学問の積み重ねの中でおおよそ確定したと考えられるものを体系化したものです。もう一つは、新しい独自の見解で、これも学問の発展や学問の自由で欠かせないことです。
研究者個人が自由な発想で研究し発表するのはとても良いことなのですが、社会と直接関係している場合は制限があります.その制限のもっとも大きなことは「これまでのことを示してから、自分独自の見解を示す」ということです。
特に社会に言うときには、社会は必ずしも専門家だけではありませんから、まずは「これまで標準とされてきたこと」を説明し、それに対して自分の見解は、これまでのどこが間違っていたということも含めて示すことになります。
当然のことですが、科学は政治、利権、名誉、お金、嫉妬などとは無縁なので、このような「人間的なこと」を排除することも科学者の最低の倫理と言うべきでしょう。
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ところで、私はよく「武田独自」と言われます。でも私は伝統的な科学者なので、まずは「これまで標準とされてきたこと」を言い、それに反することでも結構だが、その理由を聞かせて貰いたいというスタンスです。以下にその例を示してみます。
1. 被曝限度
日本人を被曝から守るために、日本の法律、規則、規制、指針などで、2011年3月11日までは、一般国民は1年1ミリまで、事故を起こしたときに事故が1万年に1度程度なら1年5ミリまでは許される、ということでした。従って、1年1ミリは私の独自の見解ではありません。このことを記載しない場合、国民が被曝の危険性に晒されますから、1年1ミリ以外のことを言う人は自ら科学者としての責任を取らなければならないでしょう。
2. 南極の氷
学問的には氷は、「温度が上がったら融ける」のではなく、「0℃を超えると融ける」ということです。従って、学問的には南極の氷はマイナス40℃ですから、気温が3℃や5℃上がっても融けることはありません。また、国連のIPCC(温暖化に関する政府間パネル)の最新報告(2007年)では、「南極の気温は低温で、降雪が増えるので、気温が上がると氷が増える」と明記されています。従って、温暖化して南極の氷が融けると言った科学者はそれによって起こる損害に対して責任を持たなければなりません。
3. ダイオキシン
ダイオキシンは水俣病などの教訓を活かした「予防原則(1992年リオデジャネイロ合意)」で「科学的な因果関係は不明だが、臨時に規制する」という概念です。従って、「ダイオキシンは猛毒だ」という科学者はダイオキシンの規制によって発生した金銭的損害(1年1800億円の税金と言われる)に対して責任があると考えられます。(予防原則である=人間にたいした毒性に関するデータは無かった、と言えばOKです。)
4. リサイクル
学問的には19世紀中盤から「エントロピー増大の原理」が認められていて、リサイクルを行うことは物質やエネルギーを余計に使うことになります。したがって、リサイクルが資源の節約になると主張する人は、エントロピーが増大しないか、エントロピー増大の原理が間違っていることを実証する必要があります。
私たち科学者は相手が一般人で科学を知らないからという理由で、これまで確立されたものを否定するには慎重でなければなりません。特に、今問題になっている被曝などについては、「1年1ミリ」が国民が作り、国民を守るための法律ですから、それに違反する科学者はよくよく考えてください。
(音声)
(平成24年1月12日)