「善良な国民」には「善良は専門家」が必要です。それでは「善良な専門家」とは誰でしょうか? もちろん御用学者は善良ではありませんが、この問題はそれより深い内容を含んでいます。
「放射線の専門家」というと、放射線の利用や防護を「研究している人」と思いがちですが、「専門家」という厳密な定義としては正確ではないと言えます。2011年の原発事故で「専門家ではない専門家」が登場し、多くの人を混乱に落としています。そこでまず「専門家」の基本的な定義をハッキリさせておきましょう。
この図は近代社会における専門家として、弁護士、医師、技師、教師を例にとって、その人たちの社会的役割を示したものです。少し意外なこともあると思いますので、丁寧に説明したいと思います。
まず図の一番上に書いてあるのは、その専門系列がもっとも大切にしなければならないことです。弁護士なら法、医師なら命です。私はこのことをよく「野戦病院の医師の行動」に例をとって解説します。
・・・・隣国との戦争になり、前線の野戦病院に派遣された国立病院の医師は、病院に担ぎ込まれた敵兵を治療する。その敵兵は味方の兵隊が頃し損なった兵隊であり、医師は国から派遣された国立病院の医師であったにしても、「命」がもっとも大切なものだから医師はそれに従って敵兵を治療する・・・
このように「専門系列」に所属する人は、上司の命令やお金などより大切なものがある職業に携わっているのです。しかし、一般には専門職にはこの図の2段目の「研究者」と3段目の「社会に対して直接、仕事をする人」を指していますが、この2つの職に求められることは違うのです。そこで2段目の人を「学者」といって社会から見ると直接的な関与ではなく、3段目の人を専門家(弁護士、医師、技師、教師)と呼ぶのがふさわしいと考えられています。
つまり専門系列の人は2つに分かれていて、法学者、医学者、科学者、研究者などは「法律を作る、治療法を作る、新しい事実を発見する」などであって、決してそれを直接、社会に作用させることはありません。従って、職業倫理は社会と切り離されます。
これに対して「専門家」は「作られたものを社会に応用するのであって、自分で新しいものを作り出してはいけない」という制限があります。国家資格制度、身分保障など具体的な行為を実施できるための制度も作られます。かつてのギルドなどに見られる独占性が認められるのです。
この構造を簡単に言うと「作る人」と「使う人」に分かれていて、それぞれの分を守ることが求められます。たとえば今回の原発事故の場合、4番目の軸(右の軸)ですが、社会に対して解説をするのは「教師」か、あるいは「啓蒙家」であり、決して「研究者」ではないのです。
このことを医師について見てみますと、個別の医師が新しい治療法を開発して独自の考えで治療にあたると、危なくて病院に行くことができません。先日のブログにも書いたように「風邪を治すのに右腕を切断する治療法」のようなことも起こるからです。
この種の難しい問題として安楽死があります。現場の臨床医は苦しむ患者を診て安楽死をさせたいと思うことがあるでしょうが、安楽死が医学会で認められ、社会が容認していないと医師は勝手に判断することはできないのです。
その代わり、医師は医療法人の理事長の命令でも治療を変更する必要はなく、自分の判断で治療を行うことができ、職業的倫理もそこで発生しますし、また身分も保障されています。
それと同じように学校の教師は「学問的に判っているもの」を教えることになります。最近、環境問題などで「環境省」のような役所のデータを使って教える先生がおられますが、本来は専門家としては認められない行為と言えます。
私は10年ほど前、「技術者が原発を設計したとき、東電の社長たりともそれを拒否することはできない」というシステムができない限り原発の安全性を保つことはできないと考え、技術士に原子力部門を作りました。福島原発のような事故が起こったとき、東電の社長が謝るのではなく、まずは設計した技術者の責任を問うというシステムです。
東大教授が御用学者になったのは、東大教授の責任というより日本社会が「専門家」というのと間違えた可能性もあります。この問題はかなり深く考えなければなりませんが、原発のような大がかりな技術を進める場合、{東電―保安院}というようなシステムが良いのか、{技師―科学者(学会)}のほうが望ましいのか、考える必要があります。
また、私は20年前に原子力の研究を終えたので2番目の地位を降り、約20年ほど教師(+啓蒙家、3番目の専門家)をしていますので、原発事故では「専門家」に当たると思っています。私が自らは判断せずに「1年1ミリ」という法律を紹介しているのはこのことです。私を「専門家ではない」という方も多いのですが、放射線防護の第一線の研究者は「社会に対する専門家」にはなり得ません。だから研究者は「専門家とはなにか?」をよく考えて発言して欲しいものです。(すこし深い内容なので、久しぶりに音声があります)
(平成23年10月17日)