科学の成果を社会に活用するときに、私たちが心にとめておかなければならないのは、人間の頭脳には欠点があることです。それをいくつかあげてみましょう。
まず第一には「これまでの知識を正しいとして判断する」という癖です。このことは次の例でよく理解することができます。
かつて地球が平らだったと考えられていた頃、毎日、太陽が東から出て西に沈むのは不思議でした。なにしろ地球は平らなのですから、西に沈んだ太陽は夜は「西にいる」はずであり、朝になると「西から出て東に行くはず」だからです。つまり昨日、東から出たら、次の日は西からでるのが普通です。東京から博多へ新幹線で行った社長が「明日はどこから帰ってこられますか?」と聞けば怒られるだろう。「博多にいるのだから、博多から帰るに決まっているじゃないか!」ということになる。まさか、東京から博多にいった社長が、帰っても来ないのに、また東京から博多に行くはずもない。でも太陽は「毎日、東から」なのである。
これを不思議と思わないはずはありません.昔の人は「地球が平ら」ということと「太陽が毎日、東からです」という2つの矛盾したことを何とかして説明しようとしたのです。そして、「太陽は東の土から毎日作られ、西に沈んで土に帰る」という発見をして納得していました。
この説明には、2つの誤りがあります。1つは地球が平らであること、もう1つが太陽が毎日土から作られることです。でも2つ間違うと正しくなるというおもしろい現象なのです。つまり人間は「正しいことを正しいと思うのではなく、納得できることを正しいと思うに過ぎない」と言うことがわかります。
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第2番目は「目で見たことを正しいと思う」という癖です。これも太陽を例にとって説明しましょう。
毎日、太陽の動きを見ていますと東から上って西に沈みます.どう見ても太陽が動いていて大地はじっとしています。だからコペルニクスやガリレオが天動説を考えだすまで、太陽が動いていると考えるのはごく自然です。目の前にものすごいスピードで新幹線が通り過ぎるのを見て、「あれは新幹線が動いているのではない。私が動いているので、結果的に新幹線が動いているように見えるだけのことだ」などと考える人はいないのです。
ところが「太陽は動いているが、それは自分が動いているからだ」と思うのはなぜかというと、人間は目で見ているようで、目で見た物を頭で解釈しているということです。かつては太陽が動くのを見て天動説を信じ、今は小学校で太陽系を学ぶので地動説を支持しています。目で見たことを一度、脳の知識で処理しているので、同じことを見ても結論が違う例です。
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そして3番目には、人間は「自分が考えていることが正しい」と錯覚することです.よく「おまえは間違っている!」と叫んでいる人がいますが、なぜ「自分は正しく、相手は間違っている」ことが判るのでしょうか。相手はまた同じように「自分が正しく、相手は間違っている」と思うからです。
さらに、人間は「今、自分が正しいと思っていることが未来永劫正しい」と思いがちです。でも、少し前には正しいと思っていたことが30年も経つと間違っていたことになるのはごく普通のことです.少し前までは「日光浴は健康に良いので、子供はできるだけ日光浴させるように」と言われ、今ではほとんどの皮膚科の先生が「日光浴は健康に悪い」と注意します。
またスポーツでは「運動中に水を飲むな、ピッチャーは肩を冷やすな」といわれたのに、これも今は正反対に、運動中は適当に水分をとらないといけない、ピッチャーは氷で肩を冷やせと言われるのです。
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また、4番目は、人間の脳は「最初に聞いたことを正しいと思う」という構造をしていることです。よく先入観と言われることがありますが、「ゴミは分別すれば資源」と最初に聞くと、次に「ゴミを分別しても資源にはならない」ということに反論したくなります。
これは人間の脳の根本的問題です。もし、人間の脳というものが生まれたときに「知識」があれば違うのですが、何も知識がない状態で生まれます。そこに知識をつけ、その知識を組み合わせてあることを「正しい」と思います。脳が発達していなければ親から貰った遺伝子(DNA)に書かれた通りに行動しますから、DNAに「あいつは敵だ」という情報があったら、どんなに親切にされても敵とおもいますが、人間の脳は発達しているんで生まれてからの知識で変わります。
先に脳に入っている情報(先入情報)によって、後から来る情報を判断するのですから、どうしても「先に入った方が勝ち」ということになるのです。でも、必ずしも正しい情報が先に入るわけではありません。どうしても先入観にとらわれるのは人間の脳の思考構造によっているのです。
(平成23年10月12日)