「全滅」と言って良いかはわからないけれど、今から20年ほど前、バブルが崩壊して「今後の日本をどうしていこうか」と言うことになった時期から、今まで日本の主要政策は失敗が目立つ。

 

たとえば、「年金」である。軍人恩給などの特別なものは別にして国民の多くが年金に加入できるようになったのは1960年代の初めだが、本格的に年金をあてにできるようになったのは1990年になってからだが、その直後から「社会保険庁のずさんな管理」が表面にでた。

 

なにしろ、人のお金を預かっているのに記帳は間違いだらけ、実に年金を納めている日本人の大半に当たる5000万人とか、266万人などと膨大な年金に間違いがあったのだから、単なる個人の問題ではなく、政策自体の欠陥と言うことができるだろう。この事件は、もともとヨーロッパの社会的制度「揺りかごから墓場まで」をまねて作ったと言われ、事実、その方面の専門家は何かというとヨーロッパの制度をテレビで解説していた。

 

しかし、現実に年金の問題が生じると、このような初歩的な問題がヨーロッパで起こっていたのか、その歴史的な経験は日本で活かされたのか、それとも日本独自の現象だったのかも解析されず、未だに「年金問題」を議論し「少子化対策によって年金問題を解決する」という方向に進んでいる。

 

ヨーロッパをまねようというのではない。アメリカやヨーロッパが日本よりうまくやっているとは思えないのだが、社会保険庁があれほどの醜態をさらしたのはシステム上の問題だったのか、それとも日本社会に存在することが原因しているのかぐらいの研究が一般化しないと話にならないだろう。

 

これは現在の「原発再開問題」と類似している。地震地帯に原発を持っているのはアメリカの2基(アメリカ自体は100基以上)ぐらいなもので地震による原発の倒壊は日本独自の問題であること、今まで世界で震度6以上の地震で破壊しなかった原発はおそらく無いこと、それでも日本はヨーロッパなどで議論される安全確保の方法(ストレステストなど)で進もうとしていること、東日本の原発がすべて震度6で破壊したのに同じ安全基準で泊原発や玄海原発を運転しようとしていること・・・など非常に似ている。

 

私は年金については一市民として考えるぐらいだが、それでも、「子供を増やして年金を安定させる」というためには、日本の人口を4億人レベルまで持って行かなければならず、それはこれまでの政策や環境問題と異なること、若い人の人口が多く年配者が少ないといういわゆるピラミッド型の人口分布というのは「若い頃に死ぬ人が多い」ということを意味していて、これも日本の政策との整合性がない。

 

また、年金を取り扱う社会保険庁は、そのトップの顔もわからないほどテレビに出てこなかったし、その後、どうなったのかもわからない状態で進んでいる。データを見て、検討しなければならないことが多いのに、相変わらずマスコミは「一般の人」をコメンテーターに出し、ことの本質が分かりにくい。

 

今回の原発事故は、「地震地帯で原発を運転するときには、耐震技術とその運転方法、避難方法を日本独自で作っておく必要がある」という政策上の問題であり、それは失敗続きの日本の政策の一つとして考えるべきものと思う。原発問題を考えて、二度と再びこのようなことを起こさないためには、やはり少し検討の範囲を拡げて、その奥に潜む日本社会を考えなければならないと思う。

 

「takeda_20110913no.132-(6:10).mp3」をダウンロード

 

(平成23913日)